火の毬

2月ももう半ば。
2月1日、ミャンマーのクーデター。戦慄する。

先月は小説書いてた。短いの。私、こんなに日本語不自由だったっけ、と呆然としたけど。息子に話したいことがあって。でも話すと違うものになりそうで。で、書いてみた。小説書こうとか思ったの、30年ぶりぐらいじゃないだろうか。
息子に読ませたら、拍手してくれた。まるで、国語の模擬試験に出てくるような小説だよ、という感想がおかしかった。小説というものを、国語の模擬試験ぐらいでしか、読んでないんだろ、と思う。母方の親族の、小さくて死んだ子の話。
きみに伝わったらいいのです。気がすんだ。

そのうちにみんな死んでゆくから、死んでゆくひとりひとりについて、こっそりと小さな物語を残しとく、ことをふと考え、いやいや、そんなの悪魔の仕業だ、と思いなおす。苦い話が多い。思い出すだけで、私が病みそう。

人は、その最低で評価されたら立つ瀬がない。人は、その最高で評価されるべきなのだ、とだれかが言っていて、全く同感だけど、その最高にだけ、出会っているわけでもないからな。

おじいさんがいました。おじいさんが死にました。おばあさんがいました。おばあさんが死にました。ぐらいで、忘れられてゆくのが、いいのかも。


国語の模擬試験、で思い出した。高校の時の模擬試験の問題文で見たのだと思う。
評論かエッセイに引用されていた。
「火の毬をつきて遊びしつかのまの記憶わが掌に烙印となる」(苑翠子)という短歌。
それでその短歌は覚えていたのだ。エンスイシ、って、芭蕉か蕪村の友だちかと思ったけど。
それで検索したら、見つかった。なんと、霜山徳爾の文章だった。
あの、フランクルの「夜と霧」の翻訳者。「人間の限界」っていう本。著作集は2巻目の「天才と狂気」所収。
そうそう、世阿弥の綾鼓とかシベリアおもちゃとか、そんな話だったわ。なつかしいな。

当該ページ貼っとく。

ぱらぱら見ると、中城ふみ子の短歌とかも引用されてた。1970年代、心理学者の本に、短歌の引用がいろいろあったという話。

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それぞれの、火の毬が、どんなであったかは、問うな。