チヨコレエト

チ・ヨ・コ・レ・エ・ト
区切って読みます。じゃんけんで、チョキで勝ったら6歩すすむ。
チ・エ・ル・ノ・ブ・イ・リ
なら7歩すすめる、というようなことを、しきりに思ったのは、10年前の東北の大震災のあと、福島の原発事故に震えていたとき。
土曜の深夜、東北の地震のニュースは、10年目の特集記事かしらと、思ったら、現実のニュースだったので驚いた。おっかない。


修学旅行は、延期変更を繰り返した果てに、春休みに長崎、ということになったが、息子はもう行く気がない。自由研修はなくなったし、高いし。GOTOの割引があるかないかわからないし、ないとしたら、2泊3日のこの内容でこの値段は、あり得ない(と、彼は思う)。青春18きっぷを使えば、同じ値段で、2人で4泊5日の旅ができる……と試算。
さらに、息子の友人たちがみんな行かない。修学旅行に行く理由が、とうとう何にもなくなってしまった。私も、行けば、とすすめる理由が何にもない。

教室では、参加不参加の用紙提出期限を前に、行くとか行かないとか、悩んでるとか、親が行くなと言う、親が行けという、どうしよう、みたいな話が行きかっている。

先生たちは、修学旅行実現のために粘ってがんばったので、みんなで行きたいよね、と言うし、修学旅行に行かない人は、学校に来て自習しましょうね、と言い出したので、修学旅行もいまひとつだが、春休みの登校はもっとおもしろくない。迷っている人多数、とか。


月曜日、息子は学校帰りに、チョコレートを買ってきた。半分こして食べた。

今年は配給はなかったの? って聞いたら、今年は配給ではなく、昼休みに、女子が作ってきたチョコレートに男子が群がるのが、進駐軍と子どもたち! のようだったらしい。そんなんいらん、って。

ちょうどその昼休みに、他人の悪口を楽しむ癖のある男子たちが、その癖を発揮してたらしく、絶対あいつらに近寄らないし、あんな奴らにチョコレート食わせる女子もどうかしてる、と思ったのらしかった。

まっとうな感じ方の子に育ってるようで、よきかな。

火曜日、別のクラスの女子からチョコレートもらったらしく、「よかったです。今年も配給ありました」って。夜、食べていた。

 

思い出した。私が中学3年のときのクラスがひどかった。町の不良たちと関係のあるような男子がいて、担任に唾はきかけたりしていた。授業ボイコットして学校出ていく女子がいたり、煙草吸ってるとか、家出して何日も帰ってこないとか、3人くらいはそんな感じで、担任はベテランの男の先生で、でも、彼らのことで手一杯だったんだろうけど。

ほんとうにひどかったのは、教室に残っている、生徒たちだったと私は思う。一人の転校生の女の子からはじまったと思うんだけど、自信満々な振舞いで、まわりをまきこんでいくのは、それまで見たことのないタイプだった。で、彼女が何をしたか。休み時間や自習時間の間じゅう、他人の悪口とうわさ話をしていた。教室に居場所がなかった私は、休み時間は隣の教室に逃げていたけど、自習時間は逃げるわけにいかず、席が近いと、耳に入る。あの気持ちの悪さは、衝撃だった。何が衝撃って、そんな話をしている自分自身の正しさを、まるで疑わないような明るさだったので。

次第に、教室は奇妙な空気にゆがんでいった。給食時間がしんとしていた。ほかのクラスは騒がしくて叱られているのに、誰かに静かにしろと言われたわけでもないのに、異様にしんとしていた。学年主任は、給食のときの態度がよいとほめたけれども、ほかにほめるところがなかったからだし、あれは、細胞が死んでゆくような静けさだったのだ。

運動会の応援合戦で、優勝したとき、担任は、喜んでいたけれども、満足そうなのは転校生だけだった。うれしいという感情なんて出てくるはずもなかった。あれは、転校生が仕切ったのだ。ほかの誰も自発的にどんな応援をやろうとか思わなかったので、転校生が、あなたは旗もって、あなたはポンポンもって、こう踊って、って、言われるままに、私も旗もって動いたのだ。右へ三歩、次は左へ三歩、それだけ。

よりによってその年、卒業アルバムの様式が変わった。生徒たち自身の絵や文章を載せることになった。ひとり半ページずつ。クラスの最初のページのデザインも生徒がやった。それぞれ担任の似顔絵とか、いろいろだったが、私たちのクラスも、担任の似顔絵だった。絵の上手な子がかいた。そこまではよかったのだ。

落書きをはじめたのは、男子たちだった、と思う。服に、かぎ裂きを描き込んだ、程度、最初は。それから、ひとりふたりと群がってきて、女子たちもきて、止まらなくなった。服はぼろぼろになり、顔に傷が入り、鼻水が流れ、蠅が飛び交い……。
どうしてこんなことができるのだろうか、こんなことをしていいのだろうか、なぜ誰もとめないのだろうか、と思いながら、自分が止めることができるとも思わなかったし、思いつきもしなかった。一部始終を、私はただ見ていた。騒いだり、お祭りのようではなかったし、むしろ静かだった。しずかに、何人かが交代で、ペンで落書きして、クスッという笑い声が起きたりした。
その表紙は、かき直されることもなく、そのまま使われた。担任は傷ついたに違いないのだけれど、生徒たちのしたことをそのまま受け止めることにしたのだろう。生徒たちの絵や文章もそのまま載った。女子が煙草の絵を描いていたのも。クラスで一番小さな女の子だったけど、小学校のときは、一緒に道端の棗の実をとって食べたりしたんだけど、あの子はカバンにセブンスターを入れていて、私は何度も見ないふりをした。

生徒たちがつくるアルバムという画期的な試みだったのだが、たぶん私たちのクラスのページがそれを終わりにした。翌年からは以前のスタイルに戻ったから。卒業生は1行だけのメッセージ。

3人の生徒たちに時間をとられて、思うようなクラス運営ができなかったことを、でも自分は精一杯だったのだと、これ以上はできなかったと、担任は言ったんだけど、転校生が何をしたかは、知らなかったかもしれないな。

誰も気づかないところで、病んだり傷ついたりしていたということなのだろう。しずかに、クスッと笑ったりしながら、担任の似顔絵をぼろぼろにしていた15歳たちのあの奇妙な時間……。

転校生の名前を、思い出せない。

思い出したくない。 

水曜日、朝、雪。一日じゅう、雪。きれいだけど、寒い。

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