忘れたり思い出したり忘れたり

気がつくと、こんな季節。鹿に襲われて滅んだいちご畑に蘇生のいちご。

きちんと世話してやれば、復活するだろう、と思うんだけど。冬は寒いし夏は暑いし、私はなまけもの、鹿よけの網だけ張りなおしたけど、草取りもせず、土もやせたまま肥料もやらず。いくつ実をつけてくれるでしょう。

母の日、らしい。フィリピンの友人たちのSNSに、パアラランのレティ先生の写真があがって、知らせてくれる。会いたい人はもういない。とおいいつか、とおいどこかで、レティ先生にまた会える運命で生まれたい。

母の日、わが家はだれも知らないわ、そんなこと。思い出させてもしょうがないので、黙っとく。うちは毎日がママの日でしょって、パパが言ったので、そういうことになってるし。ほしいものないし、してほしいこともないし。お金だったらほしいけど、誰ももってないそんなもの。

息子は、試験の成績悪くてしょげている。勉強したし、答案はしっかり埋めたのに。まわりがそこそこできているので、よけいにつらい。何を問われているか何を答えればいいかの軸があってないみたいなんだ、と言う。それたぶん、私も覚えがあるかも。経験値あげていくしかないと思います。
慣れれば軸はあっていく。年上のかしこい同級生がいてくれるなら、遠慮せず助けてもらいましょう。ノートも見せてもらいましょう。きみ、これまで田舎の公立学校の優等生しかやってないからね、ここらで苦しむのは、なかなかいいんじゃないかと思うよ。

通帳の預金残高を聞くと、〇〇円っていう。まだそれだけあるのね、と安心している私と、それだけしかないのか大変だ、と思うパパとは、育ちが違うのである。送るけど、安心して使わないで、あとがもうないんだから。

春休みの最後を、あの子は列車で南九州うろうろして、ゴールデンウィークは、九州バスの3日乗り放題の切符かなんかで、福岡長崎まで行ってたらしい。鉄道写真撮りたくて。好きなことができる元気があるのはいいけどさ。

 

5月のはじめ、今年は牡丹が咲いた。ほったらかしなので、たぶん栄養失調で、咲かない年のほうが多いんだけど。

牡丹が咲いた頃、友だちの訃報が届いた。中学高校の頃の。2月に亡くなった。3月の誕生日を待たずに。最後に会ったのが10年くらい前かな、もっと前かな。同窓会で。乳がんの治療を終えて、髪の毛もすっかりもとにもどったって、顔みてうれしくてうれしくて抱きついたのに。またねって別れたときの、最後の笑顔を、何度も何度も思い出す。

 
郷里の友だちのお母さんが、物忘れがひどくなって、一日中探しものをしているのが、かわいそうだ、と話していたのを思い出すんだけど。

ある日わたしも。一日中探しものをしていて、見つからない。見つかったのは、半年前に必要だった書類と、1か月前に必要だった書類。どうせいま探しているものも、いらなくなった頃に出てくるんだろうなと思っていたら、思いがけないものを発見した。

この紙の束なんだ、と思って見てみたら、子どもの記録。最初の6年間の、療育と幼稚園のころの。もう書いたことも忘れてたけど、読み出したら面白かった。

うちにはめっちゃ面白い子がいたんだわ。たまらん。記録しといてよかった。すっかり忘れてたけど、思い出した。思い出したけど、こんなに忘れてしまうものなんだと思ってびっくりした。決してひとりで子育てしてない。たくさんの人たちに助けてもらったと、とてもよくわかる。

毎日よく泣いてよく笑って、いつも何かに夢中で、あんなに明るかった子の顔が、くもりはじめたのは小学校から。いじめにあってから。この悔しさをどうしてくれようと思うけど、無傷なまま大人になれるはずもない。

(よくがんばって学校に行ったねという話を以前したとき、ママが校長室にお茶を飲みに行くと、そのあと、いじめた子たちが先生に叱られて、それを見ると、胸がすっとしたから、と言っていたので、ことあるごとに、パパを連れて校長室にお茶をのみに行ったのは正解だったかと、思った。卒業前に一日だけ、不登校になった。あれはほんとうに足がすくんでいけなくなるのだ。もちろん休んでいいよって私は言った、学校に電話したら、みんなで全力で守るから、と先生が電話で息子に言ってくれて、翌日からは行ったっけ)

しかし、あの子は少しは大人になってるのか?

療育で一緒だった子たち、どうしてるかしら。一歳下の子たちも、みんな高校を卒業したはず。いい人生をね。 

なまけもの、していられない。パアラランのニュースレターつくらなきゃ。