hope you are all safe.

パアラランのメイ先生からメッセージ。

Hi ate kazumi,
hope you are all safe. my heart feels for your country. I am one in prayers. may

今まで、毎年のように、フィリピンで台風や水害や、災害が起きる度に、大丈夫?って、メールや電話をしてきたのは、私たちのほうだったのに、心配される側になるとは思わなかった。

連絡できる人、してあげてください。

津波のあとの映像を見ながら、しきりに、パヤタスのゴミ山が崩落して、数百人が生き埋めになった2000年の事故のことを思い出した。雨でぬかるみ状態になったゴミのなかに、23人の学校の生徒たち、その親たち親戚たちを含む数百人が(それが500人なのか1000人なのか、永遠にわからない)埋まって、見つからないまま、やがて現場はブルドーザーで均された。
あのときの崩れ落ちたゴミ山の、壊れたバラックの名残の、避難センターを探してまわった午後の、景色、匂い、眠れない夜に見た悪夢、あれこれ生々しくよみがえってくる。

その数百倍の規模の惨事がこの国で起きた。

「げんばくが落ちた後みたいだねえ」と子どもが言う。
たしかに、原爆が落ちたあとの写真は、山から海まで、わずかな鉄筋の建物のほかはなんにも残っていない。

原発の事故は、最悪を免れられるだろうか。
たとえ杞憂であっても(杞憂であればどんなにいいか)、放射能はおそれたほうがいい、逃げたほうがいい、ヒバクシャにはならないほうがいい。

ヒロシマナガサキ・ロンゲラップ・スリーマイル・チェルノブィリ・セミパラチンスク・コソボイラク……
きっともう、世界中に数十万数百万のヒバクシャがいて、いま日本の原発事故でヒバクしても、決して孤独ではないが、それでも、ヒバクシャになるということが残酷な運命であることは変わりない。

原爆が全然過去のことになってゆかないのは、核兵器がなくならないからというだけでなく、ヒバクシャが一生ヒバクシャだからで、放射能が細胞に刻み込んだ恐怖と、一生あるいは世代を超えて闘ってゆかなければならないからで、戦争や地震は、いつかは過去の話になるかもしれなくても、ヒバクは、生きている限り、現在と未来へのおそれとしてありつづけて、決して過去の話にならない。

ヒバクシャが増えませんように。
被害が、拡大しませんように。