パアララン・パンタオ レポート② キッザニア

2日の日曜はフィールドトリップ。

パアラランの子どもたちと先生たちとボランティアの母親たち、奨学生たち、みーんなで、キッザニア(子どもがお仕事体験ができるプレイランド)に行った。

パヤタス校エラプ校2校で貸し切りバス4台。パヤタス校54名、エラプ校68名の子どもたちが参加。本当なら子ども1人1000ペソ(日本円で3000円近い。とても無理)の入場料がかかるところを、パアラランの子どもたちは施設の好意とNGOの尽力で特別に無料♫ バス代はフィリピンの友人たちの寄付。
まず、出発からたいへん。酔い止めの薬と、子どもたちが吐くときのためのビニール袋を用意してっと。酔い止めの薬を飲んだ小さい子の口に、年上の子が水筒をくわえさせて、水を飲ませていくのが、かわいい。

Cimg1407




キッザニアに到着。バスのなかで吐いた子も元気。エスカレーターにはじめて乗る子もいて、ひとつひとつが冒険。




Cimg1412


建物のなかにひとつの町ができていて、子どもたちは、ホテルやペットショップや病院や建設現場で、ユニフォームを来てお仕事体験ができる。お仕事指導してくれるお兄さんお姉さんは、胸でピースサインをする敬礼で迎えてくれる。

ボランティアの母親と数人の子どもたちのグループで館内を移動、自由に楽しんだ。
病院でのお仕事は、赤ちゃん(人形)を布でくるんで寝かせてあげること、なんだけど、女の子はさすが、日頃、弟妹のお世話をしているだけあって、手際がいい。男の子は、おもしろい。なんというか、おもしろい。大人はガラス窓の外から眺めるしかできないのだが、アン先生と大笑いして眺めた。

Cimg1441


ほかにガソリンスタンド。農場。それから食堂ではハンバーガーとジュースのおやつがもらえる。

人気があったのが、ファイヤーマン。サイレンが鳴って消防車で出動(その前に研修もあるんだよ)ホースからは本物の水が出る! それからケーキ屋さん。自分で飾りつけたケーキはお土産にしてお持ち帰り。

Cimg1472



みんなお仕事のユニフォームでつけたヘアキャップが気に入ってずっとかぶっていた。(翌日、クラスにかぶってきた子もいた)。キッザニアでは入場のときに、館内でだけ使えるお金をもらって、お買いものもできるのだが、みんな、忘れていたみたいだ。お仕事体験で使いきらなくて、余ったお金を、ポケットにねじこんでいた男の子たち。
夢のなかにいるような数時間。

Cimg1477




現地で、ジェイコーベンと妻のカティと合流した。このフィールドトリップを毎年つづけたいとジェイは願っている。それはパアラランの子どもたちに夢をもたせたいから。
「パアラランの子どもたちが実際に知っている仕事といえば、スカペンジャー(ゴミ拾い)やトラックの運転手ぐらい。そのほかに知らないから、大きくなったら何になりたいという夢をもつことが難しい。でもこういう体験をして、お医者さんになりたいとか消防士やケーキさんになりたいと夢をもってくれたら、子どもたちの未来が変わると思うんだ」とジェイ。


☆ 


帰りのバスのなかで、子どもたちは寝ている。行きは1時間の道が帰りは2時間過ぎてようやくパヤタスロードの入口、そしてそのまままた動かない。ここでは、どこへ行くのも渋滞で、渋滞に限らず何ごとにつけ、待たなければいけない。まるで生きることそのもののように、待つ。きっと、だから、人々はこんなに忍耐強く、寛容なのだ。
たぶん、忍耐強く、寛容にならなければ、耐えがたい日常だ。
渋滞で動かなくなったバスの窓から散髪屋さんがよく見えた。

Cimg1507



パヤタス校の前にバスが着いたとき、外は異様な気配だった。

学校の前の道で、ひとりの女がわめいている。ブロックの破片を道に叩きつける。ゴミを集めるときの大きな袋の中身、古い布のようだったけど、を道にぶちまける。そうして叫びつづけている姿が尋常じゃない。

急いで子どもたちをテラスのなかに入れ、迎えに来た親たちに引き渡す。親の来ない子は先生たちが送っていく。
「彼女は、もう2時間もわめいているよ」とライジェル。「ドラッグだろう」とジン。「どんな問題があるのか知らないが」。女が叫ぶとまわりの男たちが声をかける、すると女はもっと叫ぶ。ジンがテラスのフェンス越しに男たちにささやく。相手にするな。そうしたら、そのうち静かになるから。女はそれからも叫んでいたが、やがて、しずかになった。

キッザニアの世界との、あまりのギャップ。ほんの数時間前まで、子どもたちは、キッザニアで働く大人たちに、敬礼してもらってほほえみかけてもらっていたのだが。木を植える、赤ちゃんをくるむ、ひとつひとつのたどたどしい動作を、よくできましたって、最大限にほめてもらっていたのだが。
バスを降りて見たものは、そして日頃目にするものは、なんて邪険な現実だろう。


夢のなかにいた。たしかにそうだ。でも、あの夢も、この子どもたちのために用意された現実なのだ。