再提出の意味

多少気になるので、息子の英語のノートを丁寧に見て、細かく話を聞いた。
最初の5ページがカウントされなかったのは、「再」(再提出を意味する)とあるのに再提出をしなかったからだ。
指摘された間違いを、その日のうちにもう一度自分で書き直して提出しなければカウントしない、と先生の書き込みがあった。
それでなぜ息子が再提出しなかったか、だが。
その日に赤でなおされていた文章は、間違いというより、別の言い方もあるよ、というぐらいの内容だったから、それをもう一度書き直す必要があるとはまったく思わなかったのだ。(それ以前のページの間違いはすでになおしていたし、そのときは「再」と書かれていなかった)
だから、「再」の文字は、「先生はいま忙しいから、また今度提出してね」という意味だと息子は思った。
そう思ったことには理由があって、一度何かの用事で職員室に行ったときに、「忙しいから後にして」って言われたことがあったのだった。

「再」という再提出の指示は、数学のノートで一度受けたことがあるはず。翌日提出したら、その日のうちに出さないと見ないよ、と言われたことがあったはず。
同じルールなのだが、数学と英語が同じルールだとは、息子は思わなかったんだな。

それで息子に話をした。私が小学校1年生のときの話。先生が教科書とノートに名前をかきましょう、と言った。それで私は書いた。でもそれから数日して、「名前を書きなさいと言ったのに、どうして書いてないんですか」と叱られた。叱られたのは私だけではなかったんだけど、叱られた。教科書にもノートにも名前を書いたんだよ。なのになぜ叱られたんだろう。
ドリルに名前を書いていなかったから。先生は、ドリルにも名前を書きなさいとは言わなかったんだよ。でも書いてる子は書いていて、書いてない子は書いてないまま提出したから、どれがだれのドリルかわからない。前に呼ばれて、自分のドリルを取りなさいって言われたけど、どれが自分のかよくわからない。のこった1冊が私のになった。私はたくさんやったはずだけど、そのドリルは何もやってないドリルだった。
教科書とノートに名前が必要なんだから、ドリルにも必要だろうと、そういうふうに考えるのを、「汎化」というんだけど、アスペルガーの子は、この汎化が苦手。

名前を書くのは自分のものと他人のものを区別するためだけど、教科書とノートは自分のものだけど、あとから配られたドリルも自分のものかどうかは、よくわからない、もしかしたらみんなで使うかもしれない、名前を書いていいよと言われるまで書けないよね。
でもそう考えたことを、小学1年生が、説明できないし、
先生的には、教科書とノート、と言ったとき、ドリルも含めて全部、という意味だから、先生は、説明が足りてないから、私が名前を書かなかったんだとは気づかない。

この場合、数学の「再」と英語の「再」の意味は同じだったんだけど、同じだと、きみは思えなかった。だって数学はあきらかに間違いだけど、英語は、きみが書いたので間違いじゃないからね。だから英語の「再」を自分流に理解したということなんだけど。
汎化が苦手で自分流に解釈する。それでうまくいかない。
こういうことは、これからもたくさんあります。自分はそういう性質だと覚悟したほうがいい。避けられない。そういう行き違いで、傷ついたり傷つけたりということは、たくさんあるよ。
避けられないけど、できるだけそうならないように、努力することはできるから。不安なときは、自分の理解がそれでいいかどうかを、確認するようにする。
それでもうまくいかないこともあるし、そのときは、しょうがないよ。

自分の考えは、主張したほうがいい。でも主張したあとは、一歩ひいて眺めたほうがいい。自分は14ページやったから14ポイントあって当然と思っても、先生が4.5ポイントにしたいのなら、仕方ない。スタンプ押すのは先生だし。
人生みたいなもんで、よくわかんないことがいろいろ起るんだって。アドベンチャーゲームみたいなもんだと思えばいいよ。すごろくだって、ふりだしに戻れとかあるじゃん。ずっとそういうことがつづいて、あんまりだと思ったときに、考えるんだよ、じゃあやめるのか。でもつづけるのか。
ノートは、つづけるんでしょ? じゃあつづけるんだよ。ポイントなんかどうでもいいから。

残りの9ページが4.5ページになった理由はわからない。ノートには何か短い走り書きがあるんだが、達筆すぎてなんて書いてあるかわかんない。「これはどういう意味ですか」と英語でごそごそ書き込んでいたが。返事があるかどうか知らないが。
「再」を、「先生はいま忙しいから、また今度提出してね」という意味だと思ったことは、さすがに英語で書くのは無理で、日本語で書いていた。「だって先生、忙しそうだもん」

でもそういう勘違いの仕方を、理解してもらえるかどうかはわかんないし、へんな言い訳してるとか、人をばかにしてるとか、思われることも多いし、目に見えないところで、アスペルガーの子はたくさん傷ついていると思うけれどもね。

「~へ行け」っていう文章を、息子は「You can go to~」って書いてて、それを「Go to ~」って直されてたんだけど、可能と命令は違うって言えば言えるけどさ、実際は「You can go to~」って言うよ、と思うよ。
きみの英語の先生には通じないかもしれないけど、フィリピンでは通じるから大丈夫だよ、と息子には言った。