印象・日の出

しばらく前に息子が、小論文の添削されたやつを持って帰ったとき、業者テストのその様式に、私はなんとなく覚えがあった。へんだな、高校生の頃、私は小論文のテストなんてうけたことないのに、と思った瞬間、思い出した。

私、昔、その業者テストの添削のバイトをしたことがある。赤ペン先生だったのだ。そのバイトは、、、しんどかったわ。2年ぐらいでやめたと思う。

さて息子の小論文。なんと赤ペン先生のアドバイスを参考にリライトしてまた提出するというのだった。各項目BとCしかついてない息子の答案を眺める。うーん、つまらん。こういう答案に、かなりの字数の批評を書き込まなければならない赤ペン先生の苦労を思う。一つ一つ他人の文章に集中するのは思いの外に疲れるが、それが1枚いくらのばんちょうさらやしき。一週間ごとに締め切りが来る苦しさよ。……。

この赤ペン先生は字がきれいでいいなあ。私は字をきれいに書けなくて、難儀した。

何かテーマについての文章を読んでから書く、というスタイル。こんなぼうっとした作文に何かしら書かねばならない赤ペン先生もご苦労だが、赤ペン先生のアドバイスに素直にしたがって、書き直そうとしている息子もご苦労だ。

気楽にやればいいよ、と、もと赤ペン先生の私は言った。どんなに書き直しても、BとCしかつきません。だって、きみはこのテーマについて、言いたいことが、ほんとうは何もないでしょ? そして、何をどう書いても「ほんとうは何もない」ことは、伝わってしまうものなのだ。

でも、文体には何かその人らしさが出るもので、親バカと言え、私は彼の文章は好き。

 

そういえば、そろそろ模試も返ってくるんじゃないの?と聞いたら、まだ、と言っていたが、昨日発見してしまったな。とっくに返ってきてるじゃん。どうやら、自己採点の結果より、30点近く、点数が低く、順位も大きく下がって、ショックで直視できなかったらしい。去年も似たようなことがあって、それは英語の和訳が、本人完璧のつもりが、0点だったのだが、今度は国語。記述、本人できたつもり、それでも控えめに△として点数も半分と見積もっていたが、半分どころかすべて各1点しかないのだった。

問題と答案に目を通す。ああ、やっぱりこれは1点だと思う。模範解答と同じことをきみは書いているつもり。でも全然違う。何が違うかがわからないと、これからもずっと自己採点マイナス30点だよ? 問題文の風景も、何を問われているかも、何を答えればいいかも分かっているのに、マイナス30点。

 

英語の和訳で0点だったとき、彼には英文の風景はよく見えていた。その風景をそのまま書いたら、0点だった。なぜか。逐語訳しなかったからである。そのときと似ている。

自分のなかに言葉があるなんて思わないことだよ。

と息子に言いながら、いやいやほんとにそうだわと、思ったりする。

きみの文章は例えば印象派。輪郭もぼんやり。でもテストの答えに欲しいのは写実派のようなくっきりした輪郭。

きみの文体は、例えば子どもが「あれ、あの赤い、虫みたいな形のおいしいやつ」って言ってる感じ。お母さんにはわかると思う。正しく指さしているし、正しく指さしていることは伝わるのだ。でもそこは「棚の上のゼリービーンズをとってください」とか言わないと点数はないってこと。それで、ゼリービーンズという言葉はきみのなかになくても、問題文のどこかにあるから、探しにゆけば良いのです。

点数がほしければね。ついでに選択肢で、迷うときは、Aでなければならない理由が絶対あるから、その理由を探すこと。そのときに、理由は必ず文章の中にあるのであって、自分のなかにはないということを意識すること。

自分のなかに答えはないからね、と言いながら、なんか笑いたくなった。

 

大学入試の共通テスト、国語の記述導入されなくて、ほんとよかったわ。でも、二次や推薦で小論文は必要になるかも。

 

今朝早起きして、数学やっていた息子(定期考査前なのだ)、窓から日の出の写真撮って、「印象・日の出」とか言っていた。

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