原爆の残り火

Img_0853 福岡県八女郡星野村には、いまも原爆の残り火が燃えています。
召集で広島県内の駐屯地にいた山本達雄さんが、被爆後の広島に入り、叔父の店があった本通商店街にくすぶっていた火をカイロに移して、福岡県八女郡星野村の自宅に持ち帰り保存していた火。23年間山本家で守り続けられた後、昭和43年、星野村で「平和を祈る火」として村の慰霊碑の中で今も保存され続けています。

という話は、ごく最近知ったことですが、その火で、キャンドル・ナイトをしましょう、という若い人たちの運動があることも、ごく最近、知ったのですが、彼らはなんと、その火を韓国のハプチョンまで運び、そこで在韓被爆者の方たちとキャンドル・ナイトをして、その足で広島にやってきて、今夜、平和公園内の韓国人被爆者の慰霊碑の前で、キャンドル・ナイトしたのでした。

http://www.1pi-ce.jp/ja/

メールいただいたので、行ってきました。ハプチョンという言葉につられて。ハプチョンには私は84年の10月と85年の8月に2度行って、それ以来ハプチョンにも韓国にも行っていませんが、いまになって、ハプチョンに行こうという若い人たちがいるという話は、どきどきする。それも、広島の人ではないというのが、不思議で、うれしいです。
資料館の地下にもぐった会議室で、報告会があって、豊永恵三郎氏と坪井直氏も来られていた。いろいろと勉強になりました。

報告者のどなたが言われていたのだったか「個人的な火」という言葉が心に残りました。原爆の残り火を故郷にもって帰って見つめ続けたひとりの男の個人的な火。65年後にそれを韓国にもっていこうとした人たちの個人的な思いと個人的な体験とつながったところの原爆の残り火。

おそらく、個人的な火として燃やし続けることができてはじめて、それは平和の火として永続してゆくことができるのでしょう。

現場にゆけば、それなりに傷つくと思うんですけど、傷つくことでしか癒されないということもあるかもしれない。

というようなことを、思いました。
参加者がすくなかったのがもったいなかったけど、いい会でした。
ありがとうございました。

暗くなって慰霊碑の前で採火式。遅くなるからそれは参加しないつもりだったんだけど、帰ろうと思って電話したら、平和公園まで迎えに来てくれているというので、それならキャンドルナイトしていこう。子ども、お腹すいてたおれそうだとかいいながら、ロウソクを抱えていた。

きみが3歳か4歳のときに、テレビで被爆後の広島の映像を見て、焼け野原と原爆ドームを見て、パニックを起こして、「これはひろしまじゃないよ」と大泣きしたことがあったけど、これは、あのときの広島で燃えていた火。あれから私が街へ出るというと、「ママ、げんばくドームのよこをとおるときはやけどにきをつけて」ってしばらく言っていたけど、おぼえてないだろうな。
その火がいま、きみの手のなかにあるんでした。

きっと忘れるだろうな。
なので、書いておきます。