パンダがラッパを吹いたこと

昨日の夜、子どもが、
「Tくんが、中国人はばかだって言ったんだ」
と言った。
私は頭に血がのぼる。だれだ、そんなばかなことを子どもに言うやつは。

「それはTくんがまちがってる。もしTくんがお父さんやお母さんの真似をして言ってるんなら、Tくんのお父さんやお母さんがまちがってる。
それは絶対いっちゃいけないことだ。Tくんは言ってはいけないことを言ってる。
日本人はばかだ、っていうのは言ってもいい。それは、きみが日本人だから。
自分のことをばかだっていうのはいいんだ。でも、ほかの国の人のことをばかだって、そんなことは絶対言ってはいけない
人のことをばかだって言ったら、その人となかよくなれないだろう。なかよくなれなかったら、けんかになるだろう。国と国がけんかしたら戦争になる。だから、よその国の人のことを、ばかだなんて、絶対言っちゃいけないんだ。」

……と言いながら、南京に行ったときのこととか思い出して、虐殺の跡地で、掘り出される白骨を見たなあとか、でもまだ、そんなことをこの子に言えないなあと、思ったりして。

「それで、Tくんがそう言ったとき、りくはどうしたの。一緒になって、そうだねって言ったの。」

ときくと、ぶんぶん首をふる。「いみがわからないっておもった」。

「よろしい。絶対に真似するな。よその国の人のことをばかだなんて言ったら、絶交だからな。ママは中国に行ったことがあるよ。みんなにやさしくしてもらったよ。中国人の友だちもいたよ。中国語もできて日本語もできて、とても賢かったよ。」

「中国語って、日本の漢字とはちがう漢字をつかうんだよね。あれがぜんぶわかるの?」
「もちろん。」
「すごいなあ」

「日本の漢字ももともとは中国からきました。漢字からひらがなとかたかなもできました。だから中国から漢字がこなかったら、日本には文字がない。文字がなかったらお話も読めない。大事なものは全部中国からきたんだよ。ばかだって言ったら罰があたる。恩知らずっていうんだ、そういうの。きみは恩知らずになっちゃいけない。」

……腹が立っているんである。Tくんはどうせ親が言うことを真似したぐらいのことだろうが、団地のなかにはどっかの会社の社宅があって、中国人が住んでるんです。ふだんは顔をあわすこともなくても、災害時には声かけあって避難しなきゃいけないのに。そういうことに気を使えないか?

子どもに教えるなら、すごいなあ、が本当でしょう。

中国語のこんにちは、さようなら、ありがとう、は、本の「世界のあいさつ」というところにのっていて知っているから、1から10の数字の読み方を教えた。「イーアルサンスー……」

「ママのおばあちゃん、りくのひいおばあちゃんは、中国で暮らしたことがあるんだよ。それで、おばあちゃんは子どものときにひいおばあちゃんから、イーアルサンスーを教えてもらった。それで、ママも子どものときにおばあちゃんから、イーアルサンスーを教えてもらった。」

なので、りくがおぼえたら、4代目。私も親からならったことをひとつぐらいは子どもに伝えられる。

揚子江で遊覧船に乗ったことがあるよ。揚子江ってどこにある?」
すかさず地図でさがしてくる。
「向こう岸が見えないくらい広い川で、海みたい。それで遊覧船に乗ったら、船のなかで手品していた。お客さんがいっぱい見ていたよ」
「ママ、どんな船だった? 手品はすごかった? いいなあ、ぼくものりたい。手品も見たい。どんな手品?」

さて困った。手品をやっているなあとは思ったけど、見てないもん。
「ぼうしから、はたが出てくる?」
うんうん。
「てっぽうのさきから、赤い花がさいたりする?」
うんうん、そうそう。
話題を変えよう。
「上海でサーカスも見たよ。中国のサーカスはすごいんだ。パンダが、そりにのって、それでラッパを吹くんだよ。プワワーって、ラッパ吹くんだよ」
「パンダがラッパ吹くの?」
「そう。パンダがラッパ吹くの」
「ぼくも見たい。ぼくも行きたい。いっしょに行こう、ママ」
「大きくなったらね。大きくなったら行こう、いろんなとこに一緒に行こう」

というあたりで、寝かしつけたが、おかげで、すっかり忘れていた記憶を思い出した。手品のことなんか忘れていた。いつか子どもに話さなきゃいけないとわかっていたら、しっかり見ておいたのに。
パンダのことも。
吹きそうでなかなか吹かなくて、やっと、プワワーと音が出たときの、その音が、1985年3月の上海の夜からひびいてきた。
すっかり忘れていたのに。
パンダがラッパを吹いたことなんて。