李藝  最初の朝鮮通信使

映画館というのは泣くのにちょうどいい場所らしい。

「李藝」見てきた。最初の朝鮮通信使の話。
http://rigei.pro/story.html

素朴なドキュメンタリーで、泣くような映画ではないのだが。

朝鮮通信使のルート、広島の下蒲刈島は、御馳走が一番よかったって、鞆の浦は、景色が一番よかったって記録があるらしいんだけども、また行ってみよう。ゆかりの建物の近くまでは行ったことがあるけど、なかは入ったことがない。

それで、その御馳走を再現したのやら、雁木のある港町の映像みながら、
ふいに、むかし、はじめて韓国に行ったとき、学生のときの一人旅で、関釜フェリーで釜山に着いた朝に、船から見た釜山の町の景色や、
それから、日本語を習ってる学生たちに出会って、一緒に食堂に行って、
食べた料理が、スジュンジャングル、とか、ナッチポックム、という名前だったこと、白いごはんじゃなくて、麦が混ざっていたこと、
あれこれ思い出した。
で、気がつくと泣いていた。

それで映画のなかで、日本の学生たちと韓国の学生たちが討論しているのが、分かり合えなさも分かり合いたさも、30年前私が韓国で経験したことと同じで、また泣けた。

たぶん、解決できるようなことでもないのだ。
だからきっと、人と人が出会っていく、ということだけが全部なのだと思う。人として出会い、人として共感していくということ。

あのとき出会った人たちのことを思い出すと、泣ける。
「友だち」と彼らが言ってくれたとき、「友だち」という言葉を、私ははじめて、信じてもいい、と思ったんだ。
あたたかい力強い気持ちがした。