終業式

朝、雪。いつのまにか3月も終わりになっているのに、この季節になって、まだ雪。

東京は停電があったりして、夜はろうそくで暮らすけど、寒いね、とクヤ・アルが電話の向こうでいう。ペットボトルにお湯をいれて、上から毛布をかけてくるまるとあったかいよ、というと、やってみるよ、と言う。フィリピンではよく停電になったけど、停電しても何しても、寒さの心配はないなあと思う。

終業式。
バス停まで久しぶりに迎えに行く。バスから降りると、子ども、すごい勢いで走り出す。ほかの子どもたちにからまれたくないからだが、でも私を見ると、走るのをやめて手をつないで歩く。そうして人を見るとおしゃべりしたい。
いっしょに歩いていた4年生のMちゃんに「東北関東大震災のこと知ってる?」と話しはじめる。「死者と行方不明者は2万人をこえたんだ。津波が来て、陸前高田市は………」と各地の被害状況、それから「福島の第一原発の事故は、1号機は爆発があって、建屋がふっとんでしまったんだ。2号機は建屋は残ってるけど、なかで小さな爆発か何かあったんだ。3号機は大きな爆発があって、やっぱり建屋がふっとんでしまったんだ……」とつづく。
Mちゃん、圧倒されている。ねえ、りっくんのママ、りっくんは1年生なのに、どうしてそんな難しい言葉、ぜんぶおぼえて言えるの。ってきく。さあ、ねえ。

意味がわかっているかいないかはともかく、記憶の正確さはそらおそろしい。
そうだった。思い出した。子どもがアナウンサーの読み上げるニュースをそのまんま記憶してしゃべり出すので、それでだいたいニュースっていうのはぶっそうな話が多いから、それでもう、アニメ以外は、テレビつけない、ニュースもみないってことにしたのだった。

近所の同級生のSくんが遊びにくる。お昼ご飯はって聞いたら、お母さんがいないっていう。お姉ちゃんは、って聞いたら、お姉ちゃんは食べてたけど、ぼくは食べてないっていう。パンとハムと卵があったので、サンドイッチ山盛りつくったら、ふたりですっかり食べ尽くしていた。

「1995年には阪神大震災があったんだ」と子ども。
「5年生」とS君。
「5年生じゃなくて1995年」と子ども。
「1999年」とS君。
「え、ママ、阪神大震災は1999年だった?」と子ども。
「ううん、1995年で正しいよ」と私。
「じゃあどうして、S君は1999年って言うんだろう?」と子ども。

んー、会話の、このかみあわなさの説明は、めんどくさいな。
日ごろ、あんなに計算ミスをするにもかかわらず、書き取りの乱雑な文字にもかかわらず、おおむね、良好だった算数と国語の成績だが、話し合いと読書だけは、ずばぬけて点数が低いのだった。読書は読んだ本のタイトルをカードに書かないし、だいたい同じ本ばかりを繰り返し借りてるせいだと思うけど、話し合いの点数が低いのは、つまりこういうことなんだろうな。話すのも聞くのも一方的なんだ。
だけどこれは、しょうがないよなあ。アスペルガーの子らしい傾向だし。

制服の上着の袖が、長くてずいぶん縫い上げていたんだが、今度は短くなってきたので、すこし縫い上げをおろす。1年はあっというまだったけど、子どもはたしかに大きくなった。1年間、教室を脱走することもなく、学校に通いつづけて、雨の日も風の日も、急な坂道をのぼりおりして、きみはほんとにえらかったです。