「拝啓、アスペルガー先生」という本
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楽しい本だった。笑いながら読んだ。100人いたら、100通り以上の対応策を考える、という。だってひとりひとりみんなちがうのだから、と。
私が読み終えて、いま息子が読んでる。
私が子どもの頃には、アスペルガーとか自閉症スペクトラムとかいう診断はなかったし、弟は言語の遅れとか、教室で大人しくしていられないとかあって、彼に勉強させるなんて、とんでもなくたいへんなことで、宿題ひとつさせるのに母が泣き、つられて弟が泣き、にぎやかな夕方だった。弟はどっかおかしい、でも、お姉ちゃんのあたしは問題のないいい子だわ、と私は思っていたんだったが。
本、読んでて思い出した。本には、家族に暴力をふるう子どもへの対応、というのも具体的にあるのですが、私、弟と毎日けんかしてた。手を出すのは私である。手が出るのだ、まず。
ほかの誰にも暴力しないんだけど、弟にはした。テレビのチャンネル争いとかそんなことだったが、思い通りにならないと気がすまなくて、じゃまされるのががまんならなかったのだ。かみついたりひっかいたり、してましたね。
あそこの家のきょうだいげんかはすごい、というのは近所で有名だった。そういえば。じゃんけんで負けたからあきらめろ、とか無理。叱られようがどうしようが、そういうのって自分でコントロールできない感じなのだ。30分の番組争って1時間けんかしてたら、テレビなんて見れないのにさ。
……特別支援が必要なのは私だったのかもな。
いまもし自分に子どもがふたりいて、あんなけんかされたら、と思ったら青ざめる。「あんたのお母さんがどれだけ悩んだか」と大人になってから、近所の人に聞かされました。そういえば。
で、弟を殴るのがおさまったのは、中学一年のときだった。殴ったら殴り返されたのである。それが強烈に痛かった。殴った弟のほうもたじろいで、「ねえちゃん、だいじょうぶか」と声かけてくる。あのみじめさは忘れない。
暴力で勝ち目がないということを、思い知らされた、すみやかにさとった。
それから弟に手をあげることをぴたりとやめた。かわりに弟を相手にしなくなった。それもまた極端に、相手にしなくなった。
ああ。ひどい姉でしたよ。ほんと、ひどいな。
小さいうちなら暴力は簡単になおせる、と本は言う。そしてなおさなきゃいけない。私の暴力につきあってくれた弟のおかげで、いま私、無事なのかもしれません。
ごめんね。ありがとね。
それはそれとして、さくら学院帰宅部「すいみん不足」という歌。
「あの子がわたしを悩ませる。わたしがあの子を悩ませる。みんながみんなを悩ませる。みんなは心をいためてる」って、これ、いい歌詞だよね。
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