「たやすく書かれた詩」

「たやすく書かれた詩」 尹東柱(ユン・トンジュ)


窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人(ひと)の国、

詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、

汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受けとり

大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。

かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い

わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?

人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、

灯火(あかり)をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。


     伊吹郷訳

日本留学中に書かれた詩は、故郷に送られた5編のほかは、押収されて残っていない。残された5編のうちの一つ。

尹 東柱(ユン トンジュ)
1917年、満州は北間島明東(現在の龍井市智新鎮明東村)で生まれる。
1938年、ソウルの延禧専門学校(現代の延世大学校)文科に入学する。
1942年日本に渡り、立教大学英文科選科に入学(4月)する。9月、京都に移り、10月同志社大学英文科選科に入学。
1943年、7月同志社大学在学中に治安維持法違反で京都下鴨警察署に逮捕され、1945年2月16日 旧福岡刑務所で獄死した。(死亡原因に人体実験の疑い)
戦後、尹東柱の家族が彼の詩を収集し(多くの詩が特高警察が押収され行方が不明)、詩集「空と風と星と詩」が出版された。



「六畳部屋は他人の国」この国で生まれて、この国で生きていく子どもたちに、いまもこの国を「他人の国」と感じさせるとしたら(させているに違いないが)残酷な話だ。

生きがたいのは、自分の意味を見いだすことが、もうとてもむずかしいからだ。他人の意味のなかで、ずたずたに切り裂かれながら、破片を引きずって生きている。きっととても多くの人間がそんなふうだ。  
その無惨さに国籍は関係ないだろうが、「六畳部屋は他人の国」で生きている人々にとって、より困難な立場を強いられた人々にとって、民族教育が、その無惨をすこしでも軽減できるなら、それはどんなに大事だろう。
自分自身を見いだすこと。断固、幸福になること。