「わが郷土の おさなごころの上に」

朝鮮童謡選 序文  金素雲

「ふるさとの幼い人たち、このささやかな贈物にことづけて、こころからなる親愛を君たちにおくる。
 いささかの感傷をゆるしてくれたまえ。郷土に別れて十余年、心ならずも君たちとは遠く道を隔てて過越した。郷愁(ノスタルジア)の古苔も、もはや私を悲しませはしない。芸術の上で、民族文化の上で、世界主義に立つことを潔しとせぬ私も、生活の実際に在っては、この言葉を拒むことのできない一人となってしまっている。
 それでも私は自分のただ一つの誇を忘れはしない。
 君たちと郷国を一つにして生まれたことは何という幸せな偶然であったろう。いや、これは偶然ではない。数学は一から始まる。君たちと私のつながりは伝統の一の単位から始まっている。君たちの呼吸する息吹は、それは私の息吹だ。君たちの泣き歪めた顔、それは私の顔なのだ。君たちの憧憬、君たちの幻想、君たちの歓呼、君たちの意欲、さては五体に脈打つ君たちの血潮さえが悉くそのまま私のものではないか。誰がよくこの根深い約束を断ち阻むことができると思う。
(略)
 君たちの歌は、君たちが伝統の継承者として祖先の時代から一筋に受継いだものだ。君たちにとっては大切な系図ともなるもので、ここには君たちのたどり来った「精神」の記録が綴られている。しかしながら、君たちはいつまでも「昨日の子」ではない。ここに訳された童謡も、僅少な例外を除いて大方は忘れ去られたであろう。それはよい。私とて君たちに過去帳の復唱をさせようとは願わない。ただ畏れるのは、旧殻を棄つるに急な余り、伝統の精神までも君たちが没却していないかということだ。「きのう」を忘れて成り立つ「あす」はない。古い礎石の上に新たな「今日」を打建てることは、君たちに許された荘厳な権利でもある。文化の精神の上で迷児となるな。奇形児と呼ばれるな。君たちに伝える切実な私の希求はこれだ。
 世紀は開ける。君たちの背後には暗い歴史が続いた。今こそ君たちの手で、君たちの鶴嘴で、新たな光明を打拓くのだ。ペンペン草の生えた廃屋を立出でて「光の世紀」へ発足するのだ。君たちの使命は重い。
 朝の微風が君たちを呼ぶ。蒼空は君たちの上にある。」
   1932年11月  東京 下落合 金素雲

金素雲(キム ソウン、1907年1月5日 - 1981年11月2日)は、韓国釜山出身の詩人。
1920年、渡日。1928年以後、北原白秋らの後援で、『朝鮮民謡集』『朝鮮童謡選』『朝鮮詩集』などを刊行。

詳しい年譜はこちら。
http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/symposium/sympo/kimsoun/nenpu.html

「私は過去半生の乏しいエネルギーを傾けて〈玄海の橋〉となることを念願して来た者です。日本を知り、日本に学び、日本の傲慢と尊大の前に、郷土の文化と伝統の美を、誇り示すことをもって任務として来た者です」(日本への手紙 1952)
そのような金素雲の仕事は、2つの民族の葛藤と摩擦のなかで、たとえば韓国で出版された『親日文学論』のなかでは「親日派」であり、どっちの味方かわからない「コウモリ」であると断じられたりもしている。

学生の頃に、夜の下宿で、朝鮮童謡選の序文を読んで、私は泣きじゃくった記憶がある。何がそんなに心に響いたんだろう。

どこに根づくか。それはふるさとの幼い人たちのもとだと、こんなに明確にした人の言葉は、信じるに値する、と思う。

信なき言論煙の如しという言葉もあるけれど、この国の言論のなんかもうやりきれなさは、言葉がどこに根づいているのかわからない、何を信じているのか、誰とともにあるのかもわからない、むしろ根をもたないあやふやさを、客観性だとか思いたがっているようなシニシズム、もうそんなもの見たくも聞きたくもないと思う。思うが、煙だって、人を殺すからやっかいなのだ。