根こぎの病

まがりなりにも、大学のときの卒論は在日朝鮮人文学であったので(在日朝鮮人の日本語文学ね)、そこに書かれている内容はすでに知っていることとは思いつつ、いろいろと胸がつまって読みすすめられない。
在日朝鮮人ってどんなひと?』徐京植 平凡社

中学生ぐらいから読めます。これくらいのことは、当然知っておかないと恥ずかしいと思うけど、知らない人は多いだろう。


こんなニュースみかけた。

朝鮮学校への補助金停止の記事。教室から肖像画をはずせというから外したら、職員室からはずしてないといちゃもんをつけ、職員室からはずしたら、今度はこう。http://www.asahi.com/politics/update/0319/OSK201203190108.html
卑劣きわまる。理由はなんだっていいんでしょう。こういうのを弾圧って言うと思うわ。
以前も書いたし、かなしくて、もの言う気にもならないんだけど、良心があるなら、メディアは、大阪府のこの卑劣なやり口を、きちんと批判して書くべきだ。

在日朝鮮人の民族教育は、壮絶な被差別の立場から、岩に爪を立てる思いで、ひとつひとつ勝ち取ってきた権利であり、地域社会との関係であると思うんだけれども、それを、無知で傲慢な連中が一瞬で破壊する。

国家の、あるいは自治体の政治の過ちのために、日本人が苦しむのは自業自得というべきだが、選挙権のない、在日外国人や子どもを苦しめるのは、最低最悪だと思う。倫理が壊れてる。これを放置できるとしたら、日本の社会に希望がない。


こんな本のことを思い出した。
金史良作品集(1954年理論社)の保高徳蔵の序文
金史良は、日本で芥川賞候補にもなった作家。太平洋戦争中、日本を去る前の金史良の言葉を伝えている。

「日本は朝鮮に米を出せと云うから、朝鮮は米を出した。今度は労力を出せと云うから労力を出した。血を出せ(朝鮮人に対する徴兵制度)というから血も出した。それに、日本は朝鮮に対して何もしないじゃありませんか。学生は専門学校以上は閉め出して入学させないし、会社でも役所でも、朝鮮人だったら有能な人物がいたって、一定の線よりあげない。こんなことで朝鮮人の協力が得られると思いますか。日本人はgive and takeということを知りません!」と云って激しく卓を叩いた。 


こんなの見かけた。

「社会に受け入れられない自己の内なる悪を、在日朝鮮人という集団に投影し、幻想のなかで勝手におびえ、いよいよ攻撃性を高めているのである。島国の閉鎖文化が異質なものをカテゴリー化しては排除する動きを強め、歴史教育の欠如がそれを助長する」
  野田正彰『なぜ怒らないのか』

まったくそのとおりだと思う。
たとえば石原都知事の12年前の発言もそう。

「今日の東京を見ると、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。もし大きな災害が起こった時には大きな騒擾事件すら想定される。こういうものに対処するために警察の力では限りがあるので、みなさんに出動願って、災害の救助だけではなく、治安の維持も大きな目的として遂行していただきたい」(4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地での記念式典)

忘れないでいたいが、1923年の関東大震災時に、「6000人以上の朝鮮人、200人以上の中国人、数十人の日本人」を虐殺したのは、日本人だ。「大きな災害」で「大きな騒擾事件」を起こしたのは、ほかならない日本人。自警団。

日本が関わったジェノサイドの3つの事例のひとつが、関東大震災時の朝鮮人虐殺、ほかは、1937年南京虐殺、1942年シンガポール華人虐殺。
でも歴史の時間に習わないね。殺されたほうは、もちろんつぶさに習っている。知らないというのはきつい。世界が理解できなくなる。
この知識、認識の落差を、日本の子どもは自分で努力して埋めていかなきゃいけない。

そこをさぼると、南京事件はなかったとか、言うようになる。恥ずかしいことだ。


全国の朝鮮学校でただ一人の日本人教師
藤代隆介先生の講演「ウリハッキョに惚れこんで!人生を賭けてみたい!」
http://blog.goo.ne.jp/okuyeo/e/b9ac4db2ba9fd383afeea22d9bb24145

私たちがなくしてきたものが何かを考えさせられる。
パアラランを、フィリピンのゴミの山の学校を最初に訪れたときに、学習の目的に「分かちあう」という言葉があって、衝撃を受けたことを思い出した。勉強はひとりでするもので、分かちあうものだとは思ったことなかったものね。体験を分かちあう、ということも。私たちはさびしい世界に、さびしいとも気づかずに住んでいるんだなあと思った。

それで人間的なものから疎外されたさびしい世界の人は、さびしくない世界の人を、根こぎしようとするのさ。(とシモーヌ・ヴェイユは言っている)。この根こぎの病に抵抗したい。