誰がこまどりを殺したの?

誰がこまどりを殺したの?
私よ、と雀が言った。
私の弓矢で
こまどりを殺したの。

マザーグースの有名な歌。

ウリナラ」という言葉をはじめて聞いたのは韓国に行った21歳のとき。「我が国」と訳してくれた。韓国の学生たちが、我が国、という。その言葉がすごく新鮮だった。なぜ、我が国、と言えるのだろう、と不思議だった。
だって、私は日本を「我が国」と言えない。いっていいのかもしれないけれど、言おうとするとへんな感じがする。日本、とは言うけど、我が国と言うのはなんだか苦しい。それがなぜかわからない。

国を奪われたのは、ほんとうはどちらかしら、と思った。

「私は朝鮮人だ。5歳のときお父さんに連れられて日本にきてから、韓国へは帰ったことがない。でも私は朝鮮人だ。そのことに絶対の誇りをもっとる。どれだけ差別されたか。いじめられてきたか。」
と、被爆体験を聞かせてくれた朴さんは言った。
「韓国へ行ってきたんならわかるでしょう。日本の箸と朝鮮の箸はちがう。日本の箸は木だからすぐ折れる。朝鮮の箸は真鍮だから折れん。うちは折れん。いまは日本人と団子になって生きとるが、うちは朝鮮人だ、その誇りはもっとる」
ただただ圧倒されて聞いた。朴さんたち、在日のお母さんたちが、川土手の草刈りの仕事をしていた作業現場の休み時間に。

私は、日本人だ、誇りは、あるのかないのかわからない。そもそも誇りというものが何かわからない、と思った。

ウリナラ」という言葉を最近また聞いた。少女は、一度だけ行ったことのある共和国をそう呼んでいた。遠く離れて生きているけれど、魂はつながっている祖国。

祖国であるとか、民族の誇りであるとか、私が、さっぱりわからんのは、きっとそれを奪われたことがないからだろう。侵略されたこともない。名前や言葉を奪われたこともない。遠く離れた異国で、異邦人として生きているわけでもない。幸せなことだ。

我が国、という言葉を、私は言う必要を感じないし、言いたくもないのだが、ああ、言わなければならないんだなあと思ったのは、中国へ行った22歳のとき。南京では、南京大虐殺記念館が建設中で、近くでは白骨死体が掘り返されていた。穴のなかの死体をのぞいた。

誰が殺したの?
日本が、日本人が。
我が国が、私たちが。

それから高校のときに読んだ「韓国からの通信」に引用されていた「死ぬ日まで空を仰いで一点の恥なきことを」という詩を書いた尹東柱(ユントンジュ)が、治安維持法で、日本で獄死させられたことを知ったとき。

誰が殺したの?
日本が、日本人が、
我が国が、私たちが。

それは、いやでもどうでも言わなければならない「我が国」なんだと思った。

きっと、いいことをするときには、「私が」なんて言わなくていいんだが、悪いことをしたときには「私が」を言わなくちゃいけないんだ。

私よ、と雀が言った。
私の弓矢で
こまどりを殺したの。

雀みたいに。