うっかり

6月6日 テルル132の検出が意味すること 小出裕章 (MBS)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/06/tanemaki-jun6/

チェルノブィリは、想像力のひとつの目安のようではある。それに近づきつつあるんだな。数十キロの単位ですまなくなるってことだ。
チェルノブィリの赤い森。ときならぬ紅葉や枯死や、草花の奇形や脱色を見かけたら、汚染を疑ったほうがいい。
関東では農作物の産地偽装が横行してるって。嘘つきはじめたら、きっと滅ぶ。
震災よりも、原発事故よりも、人間が、想定外。



うっかりするし。

まだらめさんの「うっかりしてた」という言い訳が、この家ではやりそう。あんなえらい人が、こんな非常時に、うっかりするんだから、私が、うっかり戸を閉め忘れたり電気を消し忘れたり、服に虫や土をつけたまま、うっかり家にはいったりすることなんか、どうってことないって。
ふだん口論になりそうなところが、だってまだらめさんだって、と言うと、あんまりばかばかしくて、なごむのだった。

たいへんなことになる、チェルノブィリみたいなことになるぞ、福島の人間は逃げた方がいい、と震災の翌朝、パパは言っていた、2日後くらいにはもうメルトダウンしてるぞ、とも言ってた、この男、ときどき妄想が暴走したりするから、そうならいいなあと思ったんだが、そうでもなかった。

うちのパパがそんなことを言うくらいだし、世の中には、うっかりしてない人もたくさんいたのに、よりによって、うっかりしてしまう人間が、うっかりしてはいけない立場にいてしまったことが、不幸な人災。それは国民に運がない。



被爆者が、核兵器廃絶を訴えるのは、そこにしか希望がないからだということが、あらためて胸に迫ってくる。

たしかに、脱原発、のほかに、希望はない。

たとえば原爆の、破壊や死や喪失や差別や放射能の後遺症の話を、聞いても平気だったのは、それが過去の話だったからなんだなあと思う。他者の話でもあった。
でもそれが現在であり、たぶんすでに未来でもある、と思うと、すべてがまた、なまなましく、心臓ががくがくする。もう何も知りたくない、という気持ちになる。



 分かちあうたったひとつの空を恋えば遠き内部に死の灰が降る 
                        「路程記」