深夜の地震

夜中に地震。ニュースレターの原稿書いていて、そろそろ寝ようかと、こたつやパソコンの電源を切ったところだった。
部屋の真ん中でたちつくす。本棚の上の空き箱が落ちてきた。机の上の地球儀が落ちてきた。
階下で寝ている息子のところに行くと、彼は寝ていた。ふとんの上に壁の時計が落ちていた。軽い時計なので問題ない。

町内会の関係で、我が家には防災無線がきている。
これが、震度5弱だと教えてくれる。くれるが、声が大きい。とても大きい。ゆれがおさまったあとも10数分地震のお知らせが続く。
息子が起きるんじゃないかと思ったが、寝ている。
パパが、ケータイのワンセグで、情報確認しようとするが、あいにくこの家は電波が入らない。隣の家は入るのにね。iPad見る。

愛媛の父とか、山口の義父母とか気になるが、この時間に電話できないよな。
表を見てきたパパが、この家は無事、壁も落ちてない、と言う。このあたりで一番ぼろい家はうちなので、この家が無事なら、このあたりは無事。
もういいかげん眠いので、寝る。ちょっと船酔いな感じ。

寝ていたら、余震があったみたいだった。防災無線がまた喋る。
眠っていたのを起こされたので、なんかまた船酔いな感じ。

朝6時、起きたら世界は揺れてないが、私の船酔いは続いている。胃がむかむか。
食器棚のなかで、バランスが崩れていたんだな。薬をとろうと、棚の戸をあけたら、湯呑みがころがりおちた。ふたつオシャカ。

登校当番なので、子どもたちをバス停まで送っていく。帰ってから、愛媛の父に電話したら、久しぶりなので、私がだれかわかんないみたいだった。何も落ちてこんけん、夢やったかと思った。そうか、地震やったか。
そう、地震でしたよ。正月に弟から電話があったことを、ついでに伝える。
義父母さんからも電話。なんにも問題なくてよかった。

伊予灘なんだね。佐田岬伊方原発は夏に行った。あの岬の灯台から、ずっと向こうを見たあたりが、震源なのか。 私たち家族と父と、岬の道を歩いた。あれはたぶん私と父の一生の思い出になるだろう。
この揺れのなかに原発があってもいいと思える度胸は、私にはない。



芸予地震が、13年前の3月。そのときはもうすこし揺れた、とパパが言っていた。私はそのときはまだ東京にいたので知らない。その年の9月に広島に戻ったんだけど、けっこう被害もあったんだと思う。ブルーシートをかぶせた屋根をあちこちで見たもの。

個人的には、これまでの人生で経験したなかで一番大きなほんものの地震でした。
まだ船酔いがとまらん感じ。
車酔い船酔いするけど、地震でも酔うんだなあ。