「中井英夫戦中日記 彼方より」

午後、畑で過ごす。冬の間なんにもしなかったから、久しぶりの畑仕事。ねぎとにんにく、グリンピース、ブロッコリー、苺、が生きのびている。セロリもかろうじて。草ちぎったらニラの匂いがした。ニラもかろうじて。
みょうがと種芋を植える。がんばって育て。
ふきのとうも摘む。10個ばかし。
そんなに働いてないのに、手足がだるい。



本のつづき読む。「中井英夫戦中日記 彼方より」

昭和19年9月12日

 「母は死んだ。ええ死にました。
 人間に対する愛はその半ばを鎖された。
 さびしさの果に母は斃れた。再び訪れたあの昏睡はもう二度と人の世に帰るなと教へたのであらう。二度と忌はしい、不孝な子供らをみるなとささやいたのであらう。母は誰にも、ひとこともものいはず息を引取つたのだ。
 その夫に精神的に不具にされ、のみならず肉体的にも不具にされて尚六年近く、母はそれでも元気に生きぬいた。母自身の持つ世界は豊富だつたから、母自身の世界は強かつたから、その世界を燃焼し、それを活力として生きぬいたのだつた。併しその夫のその子供らは、その世界を助けようとはしなかつた。かへつて、凡ゆる手段をつくしてその火を絶やさうとした。恐ろしいことだがこれは本当だ。兄は母を飢えさせた。姉は母を罵つた。自分はさういふ母の一切の不幸を、執拗に自覚させようとした。我々兄妹は、三匹の小悪魔だつた。」



英夫23歳。以下、えんえんと母の死の話がつづくのである。えんえんと。泣く。母が死んだからには自分も死ぬ、と書いてある。私もそう思った。後を追う資格もない自分だ、と書いてある。私もそう思った。
「我々兄妹は、三匹の小悪魔だつた」
たしかにそのとおりでした。

父がおびえて、母が死ぬかもしれないことにおびえて(と、いまはわかるんだけど)、だからとても残酷だった。おびえた男がどんなに残酷になるかを最初に知ったのはあの父の姿だ。おまえらが、母さんを苦しめて、母さんを殺すのだ、と3人の子どもに言い放っていたし、子どもらの振る舞いに気に入らないことがあると(そして気に入らないことだらけだった)おまえらは母さんが死んでもいいのか、と執拗に責め立てる。ほんとうに執拗に。あのときの父さんの憎しみが、どれほど私たちを傷つけたか、知らないだろう。
でももう、知らないままでいてください。

実際、母さんを苦しめていない子どもなんていなかったし、ろくでもない子どもらだったし、今もそうだから、父さんの言うことは、正しかったかもしれないしさ。

18歳だった。あのころの日記を読み返す勇気は、ないなあ。