コップの水

詩と音楽の雑誌「洪水」第16号は池辺晋一郎さんの特集だったんだけど、小池昌代さんとの対談のなかで、盲目のチェンバロ奏者の話をしていた。武久源造さんという松山出身の人らしいんだけど、その人がドキュメンタリー番組のなかで、同じく盲目の友人としていた会話のこと。喫茶店でむかいあっていて、
「なあ、目が見える人は手の届かないところにあるコップにどのくらい水が入っているかわかるんだよな。まるで宇宙人だよな」
と言って笑い合う。
その言葉に衝撃を受けたと語っているのだが、
いや、その言葉で、私は、すっかり明るいこころになった。


7月に読んだのだったけど、その頃、パパの目が見えなくなってきていた。右目の眼底出血がなかなか回復しないでいたのだが、左目までおかしくなりはじめた。見えたり見えなかったりする。これは精神的になかなかこたえるようなのだったが、気持ちにまとわりつく、あれこれ薄暗いものを、そのチェンバロ奏者の言葉が、すっかり吹き飛ばしてくれた感じなのだった。

人は人を、ほんとうに励ますことができるんだなあ、と思った。
その言葉が「洪水」に載って、こういうときにここに届いたことも不思議で、いろんななりゆきに感謝です。

入院するパパに「ゆっくりしてきてねー」と息子は言ったが、ほんとにゆっくりするつもりみたいだ。1週間ぐらいと言っていたけど、右目の手術がたいへんだったみたいで(目のなかで小さいクレーンが動いて、プラモデルを組み立ててる感じ、だったらしい)、1週間後のいま、経過観察中。左目の手術はまだだし。
ゆっくりしてもらっていいんだけど、パパ宛ての用件があれこれくるし、パパ携帯見れないし、つまり私は伝令係りで、病院と近所とその他あちこち、行ったり来たり、している。
車乗れないので、坂道歩くし、バス代節約するのにバス停ひとつ分余分に歩くし、買い物がまた、リュックに小麦粉とキャベツ入れて、山登り山登り。
たまに近所の人が見つけて、車にのっけてくれるとしあわせだ。

毎日よく歩くので、毎日ねむたい。