涅槃雪

昨日の朝、雪が降っていた。
「ママ、これは放射性物質が降ってるの? 」と子どもにきかれた。
いや、降ってるのは、ここではまだ、ただの雪。心配しなくていい。

  富士の高嶺に降る雪も
  京都先斗町に降る雪も
  雪にかわりがあるじゃなし
  溶けて流れりゃみな同じ

という歌を思い出すんだけど、(そういえば大学に入って一番最初に覚えたのが、この歌だ。女子寮の新寮生歓迎コンパで、お姉さんたちが歌ってたわ)みな同じ、じゃない雪が、降っていたかもしれない。

ここ何年かテレビ見なくなっていたから忘れていたけど、子ども、天気予報が大好き。いまは天気予報に、風の向きや放射線量や、いろいろ加わってにぎやかで、またテロップで地震情報が流れるし、おう、おう、と感嘆しながら、難しい地名もひとつひとつ読んでいる。

原発のある世界に生きるというのは、こういうことなのかも。
明日の天気を見るように、今日の放射線量を見て、たとえば、ここらだと大雨警報が一週間もつづいたら、崖崩れが心配なので避難指示がでるから、地域の老人を車に乗せて避難場所に運ぶように、放射線警報が出たら、その度に、すべてを捨てて移民する。
将来的な健康へのリスクは、飲酒喫煙ストレス遺伝不摂生感染いろいろあるわけだけど、そのなかのひとつの要因として被ばくが加わることになる。
原発を受け入れるってことは、そういうことだわ。

リスクを避けて脱原発するか、リスクは仕方ないと考えるか。どちらにしても、考えるべきだと思う。考えることを、政府や電力会社に預けっぱなしっていうのが、よくないのだ。

放射性物質、初の拡散試算…原子力安全委 

「計算は、事故後の12日から24日までずっと屋外にいたと想定。最も影響を受けやすい1歳児が、大気中に漂う放射性ヨウ素を体内に取り込んだ場合の被曝(ひばく)量を予測した。その結果、現在避難や屋内退避の指示が出ている同原発から30キロの範囲外でも、一部の地域で被曝量が安定ヨウ素剤の予防投与の対象になる100ミリ・シーベルトを超える危険性があることが分かった。」

というニュース。昨日の杞憂が、今日の現実。

なんにしても見通しがないのがつらいと思う。見通しなしに次の行動に移れないし、見通しなしに今を耐えられない。
出てくるひとつひとつの数字に嘘はないにしても、それを心配ない、ということも可能だし、いたって危険、ということも可能。10年くらいたったら何がほんとうかわかるだろう。可能な限りの最善のなりゆきを願うほかない。


こんなわかんない世界に生かされるなんて絶対へんだと思うけど、このわからなさこそが現実だと了解するしかない。シーベルトが何かさっぱりわかんない人の上にも、雪は降ってくるし、自分なりの見通しをつけて生きなきゃいけない。どんな見通しをもってどう生きるかは、もしかしたら想像力の問題。倫理の問題。覚悟の問題。

地震津波原発も、全体の、みんなの運命と思っているけど、それはそうだけど、本当は、ひとりひとりの自分の運命。個人の人生のなかで回収されていくしかない災難なわけで、だから、どういう選択をしてどういう結果になっても、誰のせいにもできない。求めるべき補償は求めるべきだが。




昨日の夕方、たまさか見たBSの番組で、去年亡くなった2人の女優、長岡輝子さん(享年102)と北村谷栄さん(享年98)の人生をおいかけていて、おばあちゃん役、という観点からとらえた番組だったけど、思わず見入ってしまった。ふたりともおばあちゃんに育てられたらしい。

長岡さんの岩手弁での賢治の詩の朗読にとても心打たれた。江戸時代生まれのおばあちゃんが使っていた方言という。こんなにきれいなつつましい言葉だったんだ。素裸の人生が、声になる、と言っていた。

北村さんが、女優になろうと思った原点は、子どものころ、関東大震災のときに、朝鮮人が虐殺される光景を見たからだと語っていた。文学から入ったんではない、あの震災のときの光景が、私を女優にしたんです、と言った。

80歳を過ぎた北村さんが、深沢七郎の「楢山節考」という姥捨ての話を自分で脚本して主人公のおりん婆さんを演じた芝居の一場面が、すごかった。
口減らしのために、捨てられにゆく前に、おりん婆さんが、踊るのだ。どんな台詞だったか、とにかくこの世は面白かった、この一生は楽しかった、と実に楽しそうに踊って、それからしずかになって、捨てられにゆく日、自分から両手をふっと前にのばす(この仕草がすごいんだけど)すると息子がその腕のしたに肩を入れてきて、おりん婆さんをおぶって、捨てにゆく。

捨てられるんではない、自分からゆくんです。そう思っているし、それを演じたのだと言っていた。

2万人を超える人が地震津波の犠牲になった。犠牲になった。それはそうなんだけど、本当は、ひとりひとりが、犠牲になった、という姿であっても、その人固有の、その人自身の人生を終えているわけで、年配者も多いと思うんだけど、北村さんのおりん婆さんみたいに、ああ、いい人生だったなって、楽しかったなって、悔いはないなって、そう思って逝けた人がひとりでも多くいてくれたらいいなと思う。

涅槃雪、というんですね。この時期に降る雪。