怠けものの畑

朝、畑にゆくといちめん朝顔の花におおわれて、朝露が光っていて、きれいだ。今年はなぜか圧倒的に青い花。支柱などたててやらないので、朝顔はあらゆるものにからまりながら地面を這う。畑に、何が植わってるか、かきわけないとわからないくらい。
かきわけなくてもわかるのは、いろんなとこに植わっているミニトマト。去年の落ちた実から、勝手に生えて育っているんだが、手入れしないので、野生と化している。たくさんとれた。それから、とうがらし。これらは赤いからわかりやすいのだが。
見つけにくいのは、なす。ピーマン。ししとう。セロリ。ねぎ。大葉は繁り放題、そのかげで滅んでいるパセリ。しょうがとみょうがはまだ実はならず。ニラはいま白い星みたいな花を咲かせてる。
歩けばどこでつまずくかわからないかぼちゃ。黄色い花が咲いているのは、たぶん、トウガン。実はなるか。
いちごも野生化してひろがっている。葉っぱが元気いっぱいだなあと思ったら、いちごの葉っぱによく似た葉っぱの草だった。草ひき草ひき。
そのほかに、おしろい花やふうせんかずらが、またいろんな草ともつれあいながら。刈ってもらってずいぶんすっきりしたカヤが、また勢いよく伸びてきている。
怠けものの畑はこんなふう。
で、こんなもんだと思っていたが、隣の荒れ地がみるみるまに美しく畑らしくなっていくのを一年ばかしみてると、じぶんちのを、畑と呼ぶのはためらわれる、というふうではある。
であるが、イチゴとミニトマトが、ものすごくたくさん採れたので、それなりにしあわせな、畑の春と夏だった。

子どもが学校からもってかえった設計図は、音の出る楽器。その設計図通りのをつくって、金曜日にもっていくんだという。
ペットボトルに、クリップ8個とあずき25個入れる、というだけのものなんだが。
クリップはある。あずきはない。ないことはないが、去年つくったお手玉のなかだ。この設計図は、このとおりにしなければいけないのか、変更するということはできるか、と子どもにきいていたら、パパが、「あずきぐらい買ってくればいいだろう」って言う。
でもさ、無駄な教材費使わないでも、いいと思うんだよね。

確認。設計図は誰が考えたのか。先生が考えて、こうしなさいっていうんなら、しょうがない、あずき買ってくるか、お手玉こわして、あずき取り出そう。でも、設計図を自分で考えて、自分で変えていいんなら、あずきのほかにも、ひまわりの種とか、ふうせんかずらや朝顔おしろい花の種とか、使えそうなものは畑にいっぱいあるよ。
「設計図はぼくが考えたんだよ」
誘導。ふうせんかずらの種は黒いなかに白いハートの模様がついてて、かわいいと思うよ。
「ああ、それいいねえ。ふうせんかずらの種にしよう」

それなりに、役に立つ畑である。