ひまわりの種

金曜日、子どもが台風のニュース見て、愛媛のじいちゃんのことを心配して電話する。
じいちゃん、孫から電話かかってきてうれしかったろう。

子ども、というのは不思議だ。子どもいなかったら、きっと私は私の郷里の家族と、こういうふうに再びつながったりはしていないだろうなあと思う。
子どもを愛してくれる人たちがいるというだけで、ありがたい、と思ってしまうし、故郷が、なんだか妙に近しくなってきたのである。
私は照れるが、子どもは、おそれげもなく電話する。

12歳の頃、台風で、家が床上浸水して屋根の瓦が半分とばされた。水のなかを歩いてやってきた叔父に連れられて、腹まで水につかって、逃げた。途中で転んで、頭までつかった。それで水につかったところが、つまり体じゅうが、あとでじんましんみたいに真っ赤に腫れて、かゆかった。一週間ほど家に帰れなかったんだっけ。

警報出ても、このあたりどうってことなかったが、台風はこわい。この台風、大きな被害が出たみたい。和歌山のほう、行ったこともないけど、中上健次の小説で耳になじんだ地名のあたりだなあと思った。



(子どもの日記)

九月四日 日よう日
  ひまわりのたね
 今日、ひまわりのたねを、お母さんととりました。
 まず、母さんがとって来た花からたねをとりました。とるのは、とてもむずかしかったです。
 つぎに、母さんが、ふくしまにとどけれるたねを、えらびました。
 いつかは分からないけど、はたけや水田をきれいにしたいので、ふくしまにおくろうと、思います。
 ひまわりは、ほうしゃのうを地めんからとりのぞくやくめもはたします。
 「来年、きれいな花が咲くといいね。」と、お母さんが言いました。



午後はひまわりのたねとりでした。畑のひまわり、台風ですべてなぎたおされていて、枯れて時間がたったのは腐っていたり(臭いので近寄らず、いくつかは種をあきらめ)、花は散ったけどまだ枯れてないのは、種はまだ成熟していなかったり、小さかったりで、まともな種を選りわけるのが、ああもう大変で。何百個あったか数えてないけど、何百個もあった。もっとあったかな。

昔、中国に行ったとき、ひまわりの種とかかぼちゃの種とか、小さいビニール袋に入ったのが売られてて、みんな食べてて、まだ人民服姿が多かった街のいたるところ、足元はひまわりの種の皮が散らばっていた。
滞在中の一週間、ひまわりの種ばっかし、私も食べてた。これも、から炒りして塩まぶせば食べられるんじゃないかな、と思いながら、種よりわけてた。

食べてはいけない。これは、みんなで夏休みにひまわりを植えて育てて、種を集めて福島に送りますっていうPTAの取り組み。
夏休み前にもらった4つの種は植えたけど、あんまり育ってなくてまだ花咲いてない。種とりしたのは、その前に植えていたひまわり。去年のひまわりからとっていた種を植えたやつ。
その気になったら、お隣の畑に何十本も植わってるひまわりの種ももらえそうだけど、種とりは、けっこうたいへん。

子ども、手が汚れたとか、指がいたいとか言って、すぐやめてしまって、日記だけ書いている。最後の一行はつけたし。「」を使って書きましょう、という宿題なのだ。

種、小さいのが多くて心もとない。