ホテル・アジア(一)

☆ホテル・アジア(一)

ちがう雪けれど似た雪二月二十六日東京に降った雪

ふるさとの訛り聞くごとくファミレスの少女のカタコト日本語を聞く

大震災のとき殺された人のようなアジア訛りのコンビニ店員

支那とはもう呼ばない支那でおばあさんは娘時代を暮らしたらしい

支那とはもう呼ばない支那でおじいさんは日本鬼子(リーベンクイツ)の兵隊だった

老人ホーム慰問の小学生として歌った「離れて遠き満州の」

ホテル・アジアへ行く道を説く青年のすこしはにかむようなニホンゴ

(日本人と一緒に暮らすと傷つくよ)冷たい風がささやいて過ぎた

差別語にかえてしまった言葉を捨て、歴史と他者と愛を捨てた

                     (未来9月号)


投稿したのが6月。つくったのは雪から桜にかけての季節だった気がする。
まさかそのときは、尖閣の問題がこんなに変なことになるとは思わなかったな。国有化を私は支持しない。
反日暴動は、予期されたことだと思う。こうなることが予測できなかったとしたら、想像力がなさすぎるし、挑発するためにやったんなら、愚かとしか思えない。

反日は、教科書で教えられた程度の問題ではなく、父母祖父母曾祖父母や係累が日本人に殺された、という骨身にこびりついているところの感情だと思う。そこを乗り越えて「中日友好」と言い「熱烈歓迎」と言ってきた。
そこのところへの思いがない。

「悪いのは日本帝国主義です。あなたたちではない」と、南京虐殺の虐殺された遺骨の前で言ってもらったことがあるけど、
悪いのは日本帝国主義です、という、日本帝国主義が何かを、
考えたこともない日本の学生たちを、
親身にお世話してくれたのは、祖父母を日本人に殺された人だった。

柳条湖事件も盧溝橋事件も南京虐殺も、1930年代って、たった80年前です。
過去の侵略への反省であるとか、戦後、周恩来が、日本人民も戦争の被害者だと言って、賠償要求を放棄したのはすごいことなんだけど、そのことへの感謝であるとか。
そういうことをないがしろにしてきていて、南京虐殺はなかったとかすぐに言い出すような国なのに、それでもって反日けしからんって言ったって無理でしょ。
領土問題は、そこに触れたらおおごとになるから、領土問題なのに。
反日暴動のようなことは、たぶん何かきっかけある度に、間欠泉のように吹きだしてくると思う。
たぶん、千年くらい。

日本で暮らしている中国や韓国の人たちが、阿呆な日本人にいやな思いをさせられたり傷つけられたりしなければいいと思う。

東京で方角を迷ったとき、道を教えてくれた男の子とか。お店で、お水を運んでくれた女の子とか。

ひとりの人間の存在のしかたは、やすやすと国境をこえている。だから、人間を引き裂かないためには、この期に及んでも、どんな局面になっても、日中友好、日韓友好、日朝友好でありつづけるしかない。千年。万年。永遠に隣国だし。飽きずに懲りずに。