何を信じるか。誰にだまされるか。

人間は、何かを信じないと、生きていけないんだなと、
福島の原発事故のあとに思った。
何を信じるか信じないかで、判断も行動も、だから人生も、違ってくる。
という、言葉にすればあたりまえのことを、戦慄しつつ思ったのだった。

福島の原発事故は、健康被害をもたらすほどに深刻なものではない、
という意見が一方にあり、
チェルノブィリよりも深刻な被害をもたらすだろう、
という意見が一方にあり、

子どもの甲状腺癌が発見されて、
被ばくとの関連を疑う声あり、
一方で関係ないというものあり、

何が正しいかさっぱりわかんない、
でも何が正しいかさっぱりわかんなくても、
何かを選択し、何かを判断し、信じて(疑って)、行動する(しないということもふくめて)ということのほかに、生きる、ということの内実はないわけで、
考えなきゃいけない。

だまされたくないから信じない、っていうのは、虚無と無関心の温床にしかならない。そのうちファシズムが育つだろう。
おれは何も信じない、と言ったって、何かにはだまされて生きる。
何を信じるか。誰にだまされるか。

誰になら、だまされてもいいのか。
積極的に考えたい。でないと、自分の人生が自分のものにならない。

何のために生きるか、である。



目にとまったブログ記事。

広島の被爆二世の産婦人科医が、東大教授の中川恵一氏を批判しているもの。9月14日からすでに3日連続。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/

朝日新聞見ていないけど、中川恵一氏とか、自分のなかでは去年の段階で胡散臭いなと思ってすでに排除していた名前だったので、それがまだ現地で活躍しているんだと、ちょっと驚いた。まあそういう方、他にもいらっしゃるけど。

数日前に、山下俊一という病理、という言葉を、見かけて、ついに病理の名前になったのかと驚いたんだけど、昨日は、県立医科大は最低だ、山下俊一を追放しろと、福島のお母さんたちが叫んでいる映像を見た。

目にとまった映像。
14日夕刻の福島疎開裁判文科省前抗議
http://www.youtube.com/watch?v=xxeZeFW6JAU 

4分43秒くらいから、福島のお母さんたちの抗議の声が続く。
長いんだけど、ニュースレターの発送の準備しながら、ずっと聞いてしまった。聞きながら、写真でしか見たことがないけども、水俣病の患者たちが、国会前にやってきて「怨」という文字の旗を立てていた光景を、思った。

「人間には心があると信じてここ(文科省前)に通う」と言っていたお母さん。
誠意のなさ、心なさ、良心のなさを憤っているのだ。人間扱いしてもらっていないことを怒っている。

水俣病の患者たちの叫びもそうだし、従軍慰安婦たちの叫びも同じだと思う。

「怨」という字が立ち並ぶだろうか。



「人間には心があると信じて」っていう言葉が、いじらしい。

福島集団疎開裁判緊急署名のお願い
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/09/blog-post_14.html

ふくしま集団疎開裁判ブログ
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/08/blog-post_10.html

子どもを救え。
シンプルな話だ。