「広島朝鮮学校を訪ねて」

5月に、広島朝鮮学校に取材に行ったときの記事が載った冊子が送られてきた。ほんとうはまだ、冊子をつくる段階ではないらしいのだが、日曜の朗読会に間に合わせたいとお願いしたら、編集部のほうで、特別に15部だけ作って送ってくれた。ご配慮ありがとうございます。すごくうれしい。

「広島朝鮮学校を訪ねて」
A48ページ。編集部がつけてくれた資料のページも含めたら9ページ。
先日亡くなった在日2世の呂相豪先生、在日3世の李校長先生、在日4世の生徒会長の女の子、3人に、65年前から今までの学校の歴史、学校生活、祖国訪問、それから無償化除外の問題について、3時間にわたって語ってもらったものです。

最初に原稿をまとめたとき、涙が出ましたが、また読み返して涙が出た。
戦後、国語講習所として学校がはじまったときのこと、朝鮮学校閉鎖令によって、閉鎖されたときのこと、学校の移転の、聞いているだけで気が遠くなりそうな苦労の数々、そして、それらを語ってくださった呂先生が、先日、亡くなられたこと。薬の副作用で、話しづらいのだといいながら、振り絞るように、話してくださったのでした。



5月のことなので、忘れていたんですが、次のようなことを私は書いている。

朝鮮学校の高校無償化除外という、日本の政府がいま犯している過ちのために、朝鮮高校の生徒さんに街頭署名をさせなければならないことは、日本人の大人として、とても恥ずかしいし申し訳ないことと思う。そのようなことをぼそぼそと言ったら、「だって私たち、当事者ですから。後輩たちのためにもがんばります。」と黄さん(生徒会長)は、とても明るくて、その明るさに救われる思いがした。」

あの。愛国心なんですけど。こんなことはとても恥ずかしいし申し訳ないって、ぼそぼそと言ったのは、日本人としての私の、なけなしの愛国心なんですけど。ぼそぼそとしか言えないあたりが、愛国心の足りなさかもしれないけど、ごめんなさいって、それは私の愛国心なんですけど。

それであのとき、18歳の女の子に、私はとってもいたわってもらったような、気持ちだったんですけど。いじめた子が、いじめられた子にいたわってもらっているような、なんか胸いっぱいの気持ちだったんですけど。

つまりあたしは、あのときすごくみじめな日本人だったんですけど。

無償化はここにきてようやく実現の見通しだけど、8か月も無駄にひきのばして苦しめて、また今になって、無償化の反動のように、自治体の助成金の見直しの動きが出てきているというのは何なんですか。

彼らをいじめるのをやめませんか。どんどんみじめにむざんになっていくのは、ほかならない日本人だと思うんですけど。
あたしが、日本人でいるのがつらくなるから、やめてほしいんですけど。

尼崎で、無認可保育園と朝鮮学校附属幼稚園への補助を打ち切る、とか、神奈川県で今まで出していた朝鮮学校への助成金を(それだって他の学校に比べればわずかなものなのに)保留するとか、耳に入ってくるんですけど、いいかげんにしないかな。

そこにいるのは子どもたちですよ。子どもたち。
こういう弱いものいじめを、卑劣って言うと思うんですけど。

私は日本人で、だからむりやり、いじめっ子のグループに入れられてるみたいなことで、みじめでかなしくて、たまらないんですけど。



というわけで、それはそれとして、「広島朝鮮学校を訪ねて」という記事。当日、来てくださった方には配布します。来られない方で、読みたいという方がいらっしゃいましたら、送ります。
週刊誌風にいうと、どうなるの。
「潜入! 広島朝鮮学校。その知られざる真実!」
というところですかね。

朗読会、21日、日曜日、午後2時から、広島朝鮮学校です。