霧の向こう

寒い。雪ふってる。つもってる。

北国からみれば、全くたいしたことないが、私は四国産なので、寒いのはだめ。むかしむかし、北海道で、3月だったかな、雪のなか、夜だった、どこかの駅で電車待ってたとき、村に来てくれる嫁をさがしているというおじさんがいて、誘われたが、こんな寒いところ、無理ですって思った。

昔、母が、最初の夫が病死した後、子どもを里にあずけて、大阪で働いていたときに、プロポーズされて、一緒に朝鮮へ帰ろう、って言われたけど、言葉もわからん、そんな遠い国へよう行かん、と言って断った、らしい。それから母は四国に帰って、父と再婚して私と弟が生まれたんだけど。

柳美里ピョンヤンの夏休み わたしが見た「北朝鮮」』読了。
本文中にアンゲロプロスの「霧の中の風景」のことがちょっと出てきて、私、今までに見たなかで一番好きな映画なので、またいろいろ思いだしたりもしたんだけれど。
いたるところに霧がたちこめていて、国家という虚構の霧やら、いろんな霧のなかに知らず閉じ込められているよなあと、こないだっから思っているんだけど、この本、ところどころ、ふっと、霧が晴れる。
霧が晴れて、何か、触れるべきものに触れている。

「祖国」があるっていいなあって、思ってしまったのは、彼女の旅が、触れるべきものに触れているからなんだと思った。
魂がね。

2年前に朝鮮学校を取材したとき、生徒会長が、祖国訪問の感激を語ってくれたけど、その感激の核にあったものが何かが、すこしわかったような気がした。

おそらくものすごく素朴なことと思うんだけれど、それがわからなくなっている私たちの社会の霧の深さこそは、悲しい。

ママ、向こうの丘の団地から見れば、ぼくたちも霧に隠されているよ。
いつだったか、霧の朝に、学校に行くのを途中まで送っていくとき、子どもがそう言ったっけが。



それでっと、登校班のつきそい当番が、来週のはずだったんだけど、明日の当番の人が、雪でこんなに道が混んで、子どもを送ってからでは仕事に間に合わないから、かわってほしいっていうので、明日当番。いつもは公園までだけど、明日はバス停まで送っていかんならん。

朝7時ってまだ薄暗くて、坂道凍ってて、そいで零下なんだ。ぶるるん。それで子ども、制服が半ズボンなので、半ズボンで行くんだ。長ズボンにしてって言ったら、泣いていやがる。
私は家のなかでも、ズボンは2枚重ね、靴下は3枚重ね、綿入れ着てマフラーしてんのに。