映画「ひろしま」

スティーブン・リーパー平和文化センター理事長のお話はごく短くて、
これから数年が、核兵器廃絶に向けて、分かれ道となる非常に大事な時期だ。核兵器廃絶の世界世論を高めていかなければならない。この映画を世界中の人に見てほしい。
というわけで、今回、英語字幕もできての上映会でした。

会場は、50人ほどもいたのかな。がらんとしていた。
だいたい広島に長いこといると、もうこういうものはいいよ、という気になるんですけど。私も半ばそう思いながら、せっかくチラシもらったし、見に行ったんですけど。

体調のよろしくないときに見る映画じゃない。ほとんど耐えられないリアリティーだ。原爆投下7年後の広島市民8万8千人が伝えようとしたリアル。これ以上にリアルな映画は知らない。機会あれば、ぜひ。

二十四時間の情事」の岡田英次が先生役。

映像のひとつひとつに、呼び覚まされてくるのは、これまで読んだり聞いたりした被爆体験の、ひとつひとつの場面だったり、声だったりして、それが耳もとで、もうひとつの語りになって響いてくる。

こんなふうに家族を探し回ったのか、こんなふうに死んだ子を抱いたのか、こんなふうに死んだ親を焼いて、こんなふうに救護所で泣きわめいて、こんなふうに馬が倒れて、こんなふうに人が水のなかに浮いて、こんなふうに髪の毛が抜けて、疎開先から帰るとこんなふうに親もなく家もなくて、焼け跡から茶碗を拾って。そして戦後何年もたって、子どもたちはこんなふうに倒れて、ABCCは検査はするけど治療はしない、こんなふうに差別と無理解にさらされて、こんなふうに貧しくて、女たちもこんなふうに土方して、壊れた道をなおして……。

建物疎開中に被爆した女教師と女学生たちの一群が、川のなかに入っていく。そこで歌を歌っているのが、賛美歌か何かのようにかなしく美しく聞こえて、注意して聞くと、君が代だった。先生を囲んで輪になっている女学生たち、君が代を歌いながらずぶずぶと水のなかに倒れていった。
君が代を、私はきらいなんだけど、歌詞も旋律も好きじゃない、強制されたら、なおさらいやなんだけど、その君が代を、私ははじめて、きれいな曲だなと、思って聞いた。

ああ、たまんないなあ。たぶん、これから君が代を聞く度に、この場面を思いだすだろうなあ、と思った。君が代は、そのような曲になった。
太田川の橋の上に立ったら、ローレライみたいに水のなかから、女学生たちが歌う君が代が、聞こえてくるんじゃないかしらと思った。

死体を積み重ねて焼く場面があって、炎のなかに黒い人の影が浮かぶんだが、それが、竹山広さんの歌のように、もしまだ生きていて動いたらどうしようかと、思った。動かなかったけど。

 人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきし手のひら

1955年ベルリン国際映画祭 長編映画賞受賞。

子どもに見せるつもりはなかったので、子どもはパパと遊びに行った。
あとで迎えに来てくれて、映画はどうだったって聞くから、こわいから今は見なくていいけど、高校生ぐらいになったら一度は見なさいねって、子どもに言ったら、パパは、わしはたぶん小学生のときにそれを見せられている、と言った。

通っていた小学校で、上映会があったらしい。そういえば教職員組合の制作である。映画館なんかない田舎だし、小学校時代に見た映画といったらそれだけだった。こわいのなんの。こわいだろ。ホラー映画なんかよりずっとこわいだろ。たぶん、何度か見ている。病院の庭に野菜の芽が出るかどうか、見ている場面とかあるだろ。草も生えないと言われて、それが生えたら希望だっていう場面。それならやっぱりそうだ。

こわいからもう見たくないって。

核兵器のある世界で、人間が体験できることが何かを、その真実を伝える映画。そう、真実、という言葉を思った。まっとうに生きようと思ったら、真実に根づかなければいけない。そのような真実の、リアルの、美しさのある映画。

帰宅してしばらく寝ました。