人生こんなもん

映画を見に行った。「レ・ミゼラブル
映画を見るのは疲れるといって、行きたがらないパパが、すんなり行くと言い(見たかったらしい)、まだ難しくてわかんないだろうと思うが、子どもも連れていく。
ポップコーン買ってやるから、とにかくおとなしくしとくんだよ、と言ったら、わかった、と言ったが、案の定、退屈して椅子の上でもだえていた。まだ終わらないの?って小声で訊いてくるが、私は18禁の場面にひやひやしたり、泣くのに忙しいので、相手してやらない。

昔、小学生のときに「少女コゼット」っていう本を読んで以来、10代の頃にも読んだし、大人になってからも読んだけど、子どものころ、シャベール警部や、宿屋のティナルディエ夫妻が出てくる場面は、はらはらしながら、彼らを悪いやつらだと思って憎んだが、今は、なんてありふれた身近な人々だろうと思って見ている。昔、極端な不幸と思えたものも、ほんとうはどこにでもある不幸だった。

子どもは「さっぱりわかんなかった」って言う。うちに「ああ無情」っていう絵本があるから、また読んであげるよ。
「ああ無情」は、黒岩涙香がはじめて翻訳したときに「噫無情」って訳したから、「ああ無情」なんだけど、
「人生こんなもん」っていう意味だろ、ってパパが言ったのがおかしかった。
それ言うと、みもふたもないというか。
でもたしかに、ありのままの姿だなと。

「人生こんなもん」のなかで、自分はどう生きるか、というのは難しい問題だ。
ジャン・バルジャンは私だ、と裁判所に出向くかどうか、とかね。
コゼットの手紙を、マリウスに渡すかどうか、とかね。
ああ、エポニーヌとガヴローシュ少年がいじらしかった。

フィリピンのゴミの山で、あるとき自然発火の炎があちこちあがっているゴミの山や、麓の集落をずっと歩きながら、正確かどうかわかんないけど、ユゴーの「宇宙では昼と夜とが戦っている」という言葉を思い出したことを思い出した。
その言葉が、異様に、生々しかったのだ。

この人は、ここを出ていくこともできるのに。
パアラランがつぶれそうだったころ、レティ先生は孤立無援で、クラスをつづけていて、夜もかたい机の上で寝ていて、私はレティ先生の疲労を見ているのがつらかった。
この人、ゴミの山の麓で、こんな生活しなくても、娘や息子たちのところで、もっと気楽で快適な暮らしができるのに、誰もそれを責めたりしないのに、って思ったけど。
でも、レティ先生はゴミの山の子どもたちのために、そこにいた。

エポニーヌやガヴローシュ少年見てたら、パアラランの子どもたち思い出した。 ユゴーの小説のような世界が、たしかにあるよ。

辻昶の「レ・ミゼラブル」は名訳と聞いた。また読んでみようかな。
辻先生、生前一度だけ、ひょんなことでお会いしたことがある。
そんなことも、思い出した。
☆☆

子どもの感想(週末の作文の宿題に書いていた)

「今日、お父さんとお母さんで、映画を見に行ました。
 題名は、「レ・ミゼラブル」です。フランス革命から二十六年後のフランスが舞台です。
 ジャン・バルジャンが刑む所を出たところから、話が始まります。ジャン・バルジャンは、一つのパンをぬすんで、十九年もの間、刑む所にいたのです。
 その後のことは、あまり分かりませんでした。心にのこったのは、宿屋の親父がコゼットという少女の名前を、コレットと言いまちがえるところです。
 もっと大きくなったら、また見たいです。また、本もあるので、それも読んでみたいです。正直に言うと、
「もっと別の映画が見たかったなあ」
と思いました。」