現在形

学校で聞いた原爆の話、というのは、記念式典の中継をスクリーンで見た、ということだったらしい。それで、誰がお話したの、ときいても、首かしげていたわけだ。

「おかあさん(となぜかあらたまって)サイレンはどんな音がするの」
なんのサイレン?
「げんばくがおちるときの。ここまできこえるかなあ」
きこえるとこまる。戦争は終わったから鳴らないよ。

「おかあさん、8月15日になったら、せんそうはおわるんだよね」
よく知ってるね。
(でも、そういうふうに言われると、戦争が終わるのをいまも待っているような気持ちがする。)
「せんそうにまけるときには、しろいはたをふるんだよね。」
まあね、降参するんだから、白い旗だよね。

「おかあさん。あとなんにちかしたら、ながさきにもげんばくおちるね」
9日にね。
「げんばくおちたら、まちもくるまもぜんぶこわれちゃう。またつくるの、とってもたいへんだよね」
そっ。とってもたいへん。だからもう戦争はしないんだよ。ぜったいしないんだよ。わかった?
「わかった」

だけど、いつもこんなふうに、この子は現在形で話していたっけ。
こういう話題で、現在形みたいな、未来形みたいな言い方は、こわいよ。
むろん、被爆者にとって、ヒロシマナガサキは現在形でありつづけるほかないのだけれど。

過去形って、難しいのかな。
核や戦争を、過去形にする、ということも?