黄砂

朝、子どもを送って外にでると、空気がかすんでいる。目の前の森がすでにかすんでいる。
黄砂きたかな、と思う。
匂いが少し鉄くさい感じがする。PM2.5も来てるか。
 
PM2.5は、年とってからやっかいだぞ、病人増えるぞ、と、前の町内会長が言う。この人は、ずっと自動車関連の仕事をしてきて、肺気腫になった。
それでもここは、空気がいいので、あまり病気を気にせず快適に暮らせているようなのだが。

街に降りると空気がくさいと思う。ここは、空気はかなり快適。
でも黄砂は飛んでくる。

ここんとこ、子どもにはマスクをさせているが、帰りにはなくしてくる。
学校のお道具箱なのか、机の横のふくろなのか、どこにつっこんだのか、捨てたのか、本人記憶がない。



いじめる意図があったかどうかの問題ではない。それはもう重力の法則のようなもので、「力」というのはそのように動く。国家も個人も。いじめやすいものをいじめるようにできてる。それをなんとか堰き止めるのが、人間の善性とか知性とか理性とかいうもので、それができないなら、そんなの教育の場所じゃない。

悪口や陰口を楽しむようになった女子の悪徳が、なかなか治らないように、ひとをいじめてストレス発散する癖がついたら、それもなかなか治らない。10歳くらい、そういう重力にさらわれてしまうのか、抵抗するのか、このあたりで意識的にならないと、
知らず知らず心と人生を汚していく子どもがかわいそうだあね。

でもたいていの大人も、重力に身をまかせて生きているよなあ。

いじめる/いじめられる、の関係性の外に出ること、仕組みを把握すること、身の処し方を、考えること、見いだすこと、いじめられない場所、関係性が必ずあるという確信をもたせること。

親や教師に言ってなんとかなる、という時期はまもなく終わるしね。

風にのってやってくる黄砂みたいに、避けがたくやってくると思うしね。