庭の桜が咲いた。梅もつばきも沈丁花も、クリスマスローズも雪柳も、雪割草も。
午後、畑で日向ぼっこしながら、読書。
うぐいすの声ききながら。さくらんぼの桜の咲く傍らで。
ちょうどいい天気だった。豆の蔓がのびてきたので、網をはってやる。
足もとの草。食べられる草がいろいろある。
カラスノエンドウは食べられる。ヨモギもノビルも食べられる。それからなんていうの、小学校のとき、飼っていたチャボに食べさせていた草なんだけど、これも食べられる。
上の荒れ地のすみに、ノカンゾウが生えるところがあったんだけど、Tさんが畑にするときに根絶やしにしてしまったみたいで、残念だ。川まで降りたら、クレソンも自生してるんだが、筋肉痛なので、坂道降りるのやめる。のぼるのがしんどい。
冷蔵庫には、ふきのとう摘んだのがまだ一袋あるし、ふきのとう味噌つくったのもある。
ほんとは息子に、そういうことを教えてやりたいが、生きていくのにぜひ大事なことなんだが、それは、食べられる草を食べるか食べないかということでなくて、そういうことを知っておくのって、季節がめぐるごとに、味方がいるよと思い出して、生きようという気持ちを励ましてもらえるようなことなんだけれども、
誘っても、ぼくはゲームのほうがいいそうで、来ない。
やや関心があるらしいのはいちご畑のいちごで、それはいちごができたら、好きな女の子誘って、いちご狩りしたいなあという下心のせいだけど。
だからといって、自分で世話するではなく、ママがどれだけ働いたかを見にくるだけで。
いやなやつだよ。
それで、ぼくは都会に行きたいって。ばかなことを。
東京にいた頃、帰省するのは春と思ってた。菜の花咲いて、桜が咲いて、という季節。山とか野原とか、沼のほとりとか、そのあたりの緑のなかに、もぐりこみたい。そうしたら、私まだ生きていけるかもしれない、と思って、実際生きてこれたけど。
きみに伝えてあげたい大事なことは、それなりにあるように思うんだけども、伝えてあげられないかもしれません。
ほらここに、てんとうむしがいるよ、とか、そういうことを。
どこにもないけど、どこかにあるはずのレンゲ畑。
夜、いまのいま、表で鳴いているのは、鹿だ。猫の声も混ざってる。