試験の日の雪

雪。
たぶんこの冬、2度めの雪。
雪が少なくなった。たぶん去年もそう思った。ここに来た頃は、冬にたくさん雪が降ることにびっくりした。人生ではじめて、雪かきをした。安いプラスチックのスコップが雪の重みで割れたりした。雪がつもる度、雪だるまをつくった。
歩きはじめたばかりの子が、雪のなかを泣きながら追いかけてきた。ずっと昔、自分もそんなふうに親を追いかけたことがある気がした。

外は少し積もっている。
この週末、センター試験なんですね。そういえばはるかな昔、私が受験したときも、雪だった。共通一次の頃。
四国にもめずらしく雪が降ってた。
受験は松山まで行かないといけなかった。友達が、親戚の家に泊まるから、一緒に泊まらないかと誘ってくれて、そうすることにした。
お世話になるんだから、これを持って行きなさい、と母にもたされたのは、じゃこ天だった。たくさんあったと思う。ずっしりと重かった。
バスで行ったのか電車で行ったのか思い出せない。
親戚の家で、友達と勉強していたら、おばさんが「じゃこ天をたくさんもらったから」と、
じゃこ天入りのラーメンをつくってくれた。
そういうことを、思い出した。

受験の日が雪だったことは、試験のあと、会場の外で友達を待つ間、ぼたぼた降る雪を眺めていたので覚えている。
あの日に、人生が変わってしまった。

模擬試験のときより(予想していたより)ずっと高得点で驚いた。それで私の人生は変わってしまったのだ。一応、地元国立大を志望校にしていたのだが、100点近くも多かったので、ねじふせていた希望が、むくむくと起き上がってきた。四国を出よう、と思った。出て行ける、と思った。
もしも今出て行かなかったら、一生ここから出てゆけないかもしれない。それはずいぶん、つらいことに思えた、そのころの私には。家は、借金の取り立てのヤクザが、夜ごとやってくるような状況だったし。

国立1校しか受験できなかったから、ここに来ることになったんだけど、
ほんとにあの雪の日に、全部が決まってしまったなあ。

もしもあのとき海を渡らなかったら、その後の出会いのすべてがなかった。それらの出会いが、人生というものになっていったわけだけど。

でも、あの日の雪のなかに、青いヤッケを着て立っていた、18歳になったばかりの女の子に、これがあなたの何十年後ですよ、と今の自分を見せなければならないとしたら、
それはすこし申し訳ないような気もする。
もっと違う人生があなたにあればよかったのに。

じゃこ天入りのラーメンを一緒に食べた友達は、北海道の大学に進んだ。畜産大学だったかな。なぜ、そんなに遠くの特殊な学部を志望したのか、そんな話は、そういえば全然しなかった。思えば日頃は互いになんにも話さない友達だった。なのに突然、一緒に松山の美術館までバスに乗って行ったりした。なんにも話さないのに、一緒にいることが快かった。

同じ四国を出るのでも、瀬戸内海を渡るのと、北海道では全然違う。どうしてそんな遠くまで行けるのか、寒いのが怖くないのか、あの雪の日を境に、友達は手の届かない人になってしまった。彼女のその後の消息を知らない。

じゃこ天入りのラーメンを食べたくなったけど、じゃこ天がないな。

もしもあのとき海を渡らなかったら。あの雪の日に、とった点数が違う数字だったら。
出て行きたい、と激しく思った気持ちの裏には、出て行くことは今しかできないが、帰ることはいつでもできる、という考えがあったのだが。
帰れなくなるとは、思わなかった。

雪のなかで獲る点数には、人生がかかってる。あの日、100点少なかったら、海を渡らなかったら、どんな人生だったかしらと、すこし夢見る。