星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

幸福な子どもたちの

息子が、夏休みの宿題で書いた人権の作文で、なんか賞に入ったらしい。それはいいのだが、息子が不安そうに持って帰ったのは、一冊の冊子で、息子の作文他、12名ほどの作文が載っている。担任が「これをみんなに配っていいか、明日までに考えてきて」と言ったらしい。
ぼくはいやだ、と息子は言った。

いじめなんてありふれたテーマだから、絶対に賞にあたることもないし、新聞に晒されて恥ずかしい思いをすることもない、と息子は思っていた。だから、自分のいじめられた体験を、わりと赤裸々に書いていた。小学校の頃からのこと、中学生になってから経験した人間関係のトラブル。自分の体験と気持ちを整理するためにも、彼にとっては必要な作文だったと思う。手記を書くといいですよ、と小学校でいじめにあったとき、療育の先生に言われていたし。

これまで、そんな人権の作文集が配られたことはなかったと思う。載って晒されるかもしれないと知っていたら、書かなかったって言う。
冊子のはしがきによると、いい内容だから、今年から地区内の入賞者の作文集を、地区内の全中学生に配ることにした、というのだが、ちょっとまってほしい。

子どもは、夏休みの宿題で書いているだけで、先生になら知られてもいいか、審査員が読むだけならいいかと思って書いている。街じゅうの中学生に晒されるなんて夢にも思ってないし、その覚悟もない。
息子の作文も、いまの中学に入ってからのこともあるし、小学校のことは地域の子どもたちとのことで、顔の見える関係のなかでの話なのに。みんなに読まれたら、それがまたからかいのネタにならないとも限らないと息子は不安がるし。万が一、息子の作文で誰かが傷ついたら、それは私もつらいと思う。わかる人にはわかるし。

ほかにも、自分の発達障害の話、身内の障害者の話、プライバシーに関わるデリケートな話ばかりなのに、本人や家族の承諾も得ずに、学校名や氏名が記載されたままの作文を配る、という人権なんとか委員会の人権感覚のなさを、ちょっとどう考えていいかわからなかったんだけど。
発達障害の子の作文を読んで、息子は、学校中に自分が発達障害だと知られてしまうってぼくだったらいやだ、と言ったが。

いい作文ばかりだったから、中学生に読ませたいと思う委員の人たちの気持ちはわかるけど、
甘いと思う。ひろがるのは共感とは限らない。何かで賞とったからって、まわりがリスペクトしてくれるかってそんなことは全然ないので、目立つだけ危険なのだ、むしろ。

担任に手紙、息子の気持ちを聞いてもらってありがたいこと、冊子をつくった当部署には、配布の中止のお願いのFAXをした。
夕方、学校から電話。担当部署から連絡あって、配布は差し止めしてくれたらしい。詳しくはまた連絡あると思うんだけど。
息子はほっとしていた。

さて、冊子をうっかり学校に返してしまったので、ほかの子たちの作文が読めなくなって、残念だ。ほんとに愛らしい、素敵な作文たちだったんですよ。障害があって寝たきりの親戚の子が、どんなにきれいな優しい心をもっているかとか。私は、17歳で死んだ親戚の子を思い出して、彼女がいてくれたことが、どんなに私の子ども時代を素敵なものにしてくれたか、共感するところたくさんで。
また読みたいんだけど、あの作文集。自分で配布差し止めさせておきながら、あれですけど。

人をいじめる人は幸福になれないと思う。ぼくは幸福な人間になりたいから、絶対に人をいじめる人間になりたくない。
なんかそんなことを息子は書いていたけど、

もしかしたら私が幻にしてしまうかもしれないけど、
幸福が何かを知っている子どもたちの作文集なんですよ。