枯れ葉剤と一銭五厘の旗

枯れ葉剤は四国にも撒かれていた、という記事を見かけて、ぞぞぞっ、としている。1970-80年代、私がそこで暮らしていた頃だなあ。ベトナム戦争で使って余ったのを、日本が引き取って、国有林に埋めたり、農薬で使った、という話。

http://sharetube.jp/article/2784/

http://blog.goo.ne.jp/agrico1/e/94b22465eabcdcb7a1a6e2625d4c59c8

あの頃、学校へ行く道は田んぼのなかを通っていて、ときどき、ぶわわわわっと白い煙が流れてきたりした。農薬散布。子どもの下校時間を避けるとか、しなかったよね。父たちが、子どもの頃はこの川で泳いだとか、蛍がたくさんいたとかいう川は、臭いどぶ川で、泳げたなんてとても信じられなかった。
社会科の教科書に公害の話があり、水俣病も東京の光化学スモッグもこわそうだなあとは思ったが、どこか遠い国で戦争がつづいていることも知ってはいたが、あの頃、子どもの私の想像力は、四国の外には及ばず、生活圏の外はたちまち異国、戦争も公害も遠いところの話だったが、本当はそうでもなかったのか。
あの頃、山菜を食べ過ぎたら、癌になるという噂が流れて、本当か嘘かわからず、けれども、山菜を食べ続けて暮らしてきたので、もう食べないということにはならず、春の食卓は来る日も来る日も蕨だった。
日本列島の絵の上に、日本列島改造、という文字が書かれたチラシが、電信柱に貼ってあるのが、これから何が起きるんだろうと、妙にこわかったのを覚えている。

花森安治伝」(津野海太郎)読了。そういうことだったのかと、なんかいろいろ腑に落ちた。数年前に「花森安治戯文集」を読んだときも、このなつかしさは何だろうと思ったんだけど、日本列島改造のチラシや、おやつのパンが値上がりしたことなんかと一緒に、「暮らしの手帖」の絵と文字の記憶がある。「一銭五厘の旗」という言葉の記憶がある。花森安治の名は知らなかったけど。

……

ぼくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後(あと)へひかない

(「見よぼくら一銭五厘の旗」花森安治 から)



庭のぐみの実。

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