ゼイナブの物語

古居みずえ監督の映画『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』が自主上映中。
http://whatwesaw.jp/

京都は明日まで。神戸は14日まで。
あいにくまだ見ることが出来てない。

この映画のなかの映像を、でもたぶん私は見ている。2009年のイスラエルのガザ攻撃で家族を殺された少女の映像が、いつ頃だったろう、深夜に、テレビで紹介されていて、偶然見たのだ。それを見たあと、短歌を書いた。
「緑の顔」というタイトルの一連。歌集『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』に収録した。

今日、古居さんから、映画と同名の本『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』(彩流社)とお手紙いただいた。
「ゼイナブのこと、歌っていただき嬉しかったです」
とあって、ふいに目があつくなった。

ああ。ゼイナブ、という名前だったんだ。あの女の子。

私は女の子の名前を忘れていたし、忘れる前に覚えてもいなかった。
たぶん、少女の名前はなんでもよかった。私にはそうだった。私は、戦争や暴力のひとつのとても印象的な事象として、その少女を見たのだし、またそうでなければ、短歌を書かなかったし記憶もしなかった。少女の名前はなんでもよかった。名前はなくてもよかった。書く内容もまた、現実の少女を離れてゆく。

でも古居さんにとって、その少女はゼイナブという名前で、その名前を呼んで、少女と出会ってきたのだ。もし少女が、戦争の被害者として、こんなに印象的な行為をすることがなくても、古居さんはきっと、ひとりの女の子としてのゼイナブの物語を大切にしただろう、と思った。
「ゼイナブのこと」っていう言葉は、そういうまなざしから出て来る言葉だ。そのまなざしに、とても共感するし、心うたれた。
そんなふうなあたたかさで、この人はガザの子どもたちと出会っているんだ。

本、まだすこし読んだだけだけれど、ゼイナブの物語のところ。

「ゼイナブは顔を塗ること、絵を描くことでワーエルの家で起こった出来事を忘れまいとする。私たち、日本人は悪い記憶は一日も早く忘れたいと思うのではないだろうか。時間がたつことがその傷を癒してくれると思う。しかしゼイナブは忘れようとしない。忘れてはならないと思っている。それが彼女にとって一番の辛い思い出だとしても」


☆☆

「緑の顔 ガザの少女についての覚書」から

降りてきた兵隊たちは(アニメーションみたいだ)緑の顔をしていた
自分の顔を緑に塗る少女 緑の顔の兵士に父母を殺されてから
がまんできない愛のよう(力への愛だ)緑の顔になりたい
生きているわたしは生きていることで父母を殺した兵士と同じ
わたしだけが知っている床の血の染みの父さんのかたち母さんのかたち
わたしだけが呼びかけている血の染みの父さんおはよう母さんおはよう
嘲う声が聞こえるあざわらう声になってしまう ワタシヲ見ルナ
緑の顔のわたしを遠巻きに見てる 知ッテイルケド知ラナイ誰カ
妹がわたしを怖がる もう絵の具をおとしても緑の顔のわたしだ
銃声の一瞬すべてが飛んでった ワタシモワタシヲ連レモドセナイ
妹がすがるように見るどこにもいないわたしを求めて手をのばす
手をのばす妹と手をつなぐとき気づくわたしの指 死ヨリ冷タイ
残された瓦礫の家で暮らしている 鏡ノ中ノ緑ノ顔ガ
民を撃つ契約だったか君だって狂ってもおかしくないと思うよ
いつまでも一緒に暮らす血の染みの父さん母さん 薄レテユクナ

                『もうひとりのわたしが(以下略)』


☆☆

表現する、という絶望的ないたらなさを、ゆるしてくださってありがとう。
ゼイナブが、幸せになりますように。