しょうわ四年の地図

子どもの作文。地図の話。



二月十九日 日曜日
  地図をくらべて その二
 今回は、せいれいしていと市についてです。
 せいれいしていと市は、げんざい、さっぽろ、せん台、千ば、さいたま、川さき、よこはま、さがみ原、しずおか、はままつ、名古や、京と、大さか、さかい、こう戸、おか山、広しま、北九しゅう、ふくおか、新がたの十九です。また、東京はとくべつくなので、せいれいしていと市ではありません。でも、ぼくは思います。しょうらいは、東京の八王子市もせいれいしていと市になると、かごしまや、くま本や、まつ山(四国)なども。
 なぜかというと、い前の地図にくらべると、今の地図のほうが多いからです。
「地図はうつりかわるな。」
と思いました。


三月十日 土曜日
  しょうわ四年の地図
 今回は、さらに古い地図とくらべました。そこは、大きくかわっていました。この地図は、きのう、母さんにもらいました。(コピーです。)
 まず、文字が古い文字でした。広しま、ふくいなどがそれです。しかも、右から読みます。東北も、むかしはおう羽地方と言いました。
 さらに、南から太や千しまれっとうは日本のりょう土で、ちょうせん半とうや台わんは日本のしょくみん地でした。太へいようせんそうがおわると、ロシアが、南から太、千しまれっとう、北海道の北方四とうをせんりょうしました。ちょうせん半とう、台わんは、どく立国になりました。
「どく立できてよかったな。」
と、ぼくは思いました。
 イスラエルをさがしても見つかりませんでした。せん後にできた新しい国なのだそうです。
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昭和四年の尋常小学校の児童が使っていたらしい地図帳をもっている。昔、叔父がゴミ捨て場で拾ったのをもらった。さわるとぼろぼろふちが崩れるので、カラーコピーして、子どもにあげた。
昭和四年だから、1929年で、大恐慌の年で、ママの死んだママ、きみのおばあちゃんが生まれた年の、地図だよ。

作文、習ってない漢字はひらがなで書くので、へんな感じだが、「島廣」とか「井福」とか書いてあるのがめずらしかったんだな。
昭和4年なので、朝鮮地方、台湾地方、も日本の地図のなかにある。九州地方のあとに。

大阪のハンメのお父さんとお母さんは朝鮮から来たんだよ。なぜかって、日本が侵略して植民地にしたからだよ。植民地にするっていうのは、土地や仕事をとりあげたり、朝鮮語を学校で教えなくさせたり、禁止したりっていうことだよ。
一応、説明を試みたが、このせっかちな子ども、人の話をゆっくり聞くのがむずかしい。
でも作文みるかぎり、基本的な理解は間違ってないか。大きくなったら、自分でしっかり勉強しなさい。

子ども、何を思ったか、
「大阪のハンメは、日本語をしゃべれるの」ってきく。
もちろん。きみは会ったとき日本語でお話したでしょう。おぼえてないかい。お手紙も日本語でもらったから読めたでしょう。
「ああ、そうか。じゃあハンメは朝鮮語はできるの」
もちろん。だってハンメは朝鮮学校朝鮮語の先生だったんだよ。
「じゃあ、日本語も朝鮮語もできるんだ。それはすごい。それはすごいよ」

子ども、地図眺めながら、「イスラエルはどこ」ってきく。なぜにイスラエル。子どもにイスラエルの話をした記憶はない。
イスラエルはないよ。だって、第二次世界大戦のあとにできた国だもん。なんで、イスラエル
「うん、パレスチナの子どものこととか気になって」
パレスチナの話もしたことはないが、思い当たった。
古居みずえさんの本『ぼくたちは見た──ガザ・サムニ家の子どもたち』がテーブルの上に置いてある。私が読みかけなのだ。
まさか読んでないと思うけど、凄惨な殺戮の証言なので、見ないでほしいが、瓦礫のなかの子どもの写真は目にとまるね。

「ママ、わかったよ。台湾は日清戦争のあとで、日本の植民地になって、朝鮮半島は、日露戦争のあとで、日本の植民地になったんだよ」
参考書で調べていたらしい。
じゃあ、それ、せっかく調べたから作文に書き足しますか、ってきいたら、
「2ページかいたから、もういい」って言った。
宿題は、さくぶんちょう2ページ以上。「」つき。
めんどうだあね。

それはそうと、政令指定都市が19もあるなんて、子どもの作文読むまで、私は知りませんでした。

☆☆

3月11日。朝、雨。子ども会の歓送迎会。
午後、雨あがるけど、しばらくして、みぞれ。「黙とうしなきゃ」と子どもが言い出して、外出先の車のなかで黙とう。寒い一日。