あることは知っていたが、どこにあるか知らなかった歴史資料館。
釣りに行く途中でパパが立て札を見つけたらしく、月曜の朝、行ってみる。
明治17年、文明開化の頃に建てられた偽洋風の建物が、移築されて歴史資料館になっている。http://
入ると、客はいなくて、私たちだけ。
係のお兄さんが、あれこれ説明してくれる。天井板がはずれていて、屋根裏でどんなふうに木が組んであるか見えるのが、面白かった。偽洋風建築をつくった田舎の宮大工の心意気。
展示は、高畠華宵をやっていた。大正ロマンの。宇和島出身なんだよね。彼が画家になろうと夢見ていた少年時代に、こ の建物は宇和島警察署だった。
一階のロビーには、江戸時代からの宇和島の地図が貼られていて、子どもはずーっとそれを見ていた。歴史資料館のある場所は、昭和63年までは海だったのである。馴染みのないはずだ。
きみは地図が好きみたいだからって、係のお兄さんが、昭和20年代の地図のコピーを、子どもにくれた。
さっき子どもが書いてた宿題の作文みたら、そのことを「しょうわ時代の地図をもらいました」って書いてる。そう書かれると、とんでもなく古い時代のような。
しょうわ時代。……たしかにそうなんですけど。
二階には地元の収集家が寄贈した資料が展示されていた。穂積兄弟や、大和田建樹、中野逍遥ら郷土ゆかりの先人たちに関する資料。
それから三好直という地元の彫刻家の作品がいくつか。田んぼしながら母の世話をしながら、彫刻しながら、生きた人らしい。
そのなかの、ひざまずいた裸婦像を見て、「同じくらいだ」ってパパが言った。近寄って比べてみたら、私と手足の長さ太さが一緒、背丈も腰回りの大きさも一緒の裸婦さんだった。
顔は違う、裸婦さんのほうがしもぶくれで、やさしそう。手も違う。裸婦さんのほうがふくよかで女っぽい。それから、おっぱいは裸婦さんのがすこし大きいかも、だけど。あとは一緒。ほとんど自分の体がそこにあるみたい。
へんな気分。
彫刻の裸婦像なんて、どこにでもあるし、どこででも見るけど、こういう恥ずかしい気持ちになった裸婦像って、はじめてだ。自分とおんなじ体の大きさの、裸婦さん。
ちょっとさわる。
資料館の近くには樺崎砲台跡がある。
マンホールのふたは闘牛の模様。
☆
午後、帰る。海を渡る前に、来島海峡で一休み。
遠くのほうの雨雲が不穏。