星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

生きてかいないわたしたち

石牟礼道子『最後の人 詩人高群逸枝』読了。

たとえば、高群逸枝の死後、夫で編集者の橋本憲三が、逸枝について語ったこと。

「彼女(逸枝)の知恵が、あなた(道子)と同じように、彼女は貧乏人で、貧乏人の心を持っていて、つまり人類の大部分、人類の側にぞくしていて、あなたが水俣病を、たとえば科学の方からでなくて、社会科学の方からでなくて、人間そのものの中からみて、知恵をひらいて資料あつめをやり、人の時間をサクシュ、いや搾取ではない、つまりそのことで相手に反対給付を、つまりよろこびをあたえて、そこから真実をひきだして人間の原存在の意味を問う形で、水俣病という公害にとり組んでゆくように、全く彼女も、自分一人の知恵で、日本歴史の基本的資料をととのえ、幸い、その中から大鉱脈をみつけだして、あのような研究をやってのけていった」

「彼女は自己を空っぽにしてきて、むきあうものの魂によりそうのです。だから彼女にむかえばしずめられる」

「あなた(逸枝)には資質の可能性がすべての弱者たちと共に平等にあって」
「あなた(逸枝)こそは悲惨そのものにもなれたひとでした」



逸枝は詩人として出発したらしい。でも大正詩壇で(たぶんその後も)、その詩は嘲笑されたらしい。

「自らは体制の血肉ともなってゆく故郷が、彼らの中に芽生えざるを得なかった近代的自我と対立し、存在を許さなかったのも、その体質からしてひとつの法則でした。ですから、この国の近代詩人たちの、詩人としての出発はまず、大部分、故郷や家との絶縁を契機とし、それをくびきとして曳きずってゆく、という深い動向が見られます。」

「…知識階級、それは、そんなにも魅力のある世界なのか。いな。そこでは一番いい地位も、一番ひどい地位と同じように悪い」

「わたしは、結局人間たちの言葉、現代悪に染めあげられているうちこぼれてくる言葉の破片でしかしゃべれないのだわ、と気がつきます。」



石牟礼道子の次のような文章を読んでいると、ほっとする。心がふかぶかと安堵する。

「人生という個体史が意識しあっているのはたぶん、たしかに、生命が発しているかなしみである。たぶんそれこそが愛である。それをくるんでゆくために、女たちは破れた母系をひきずって歩む」

「まったく仕方のない会話しかできないものだ。けれども、いまはまだ生きているから、間というものをつながねばならないではないか。人間と人間との間にある闇のごときものをいつもこのようにしてわたくしたちはつなごうとする。いかにそれが徒労であろうとも。いのちが愛しいとはそれ故いうにちがいない」

「ここで考えてみたいのは、民俗学のみならず文学や宗教の世界で、あるいは下層常民の世界で聖なるものをいうとき、聖痕を負ったもの、つまり片輪者と云われたり、不具とも云われる人々が、同時に神として、遇されていることの意味である。マリアが聖母と云われるには、未婚の母の受難のテーマが深く秘されていると思われる。キリストが馬小屋の桶を産盥とせねばならなかった説話にも、そこまで追いつめられたものは甦らねばならぬ、被差別ものの歴史があってのことだったろう」

「悶え神とは、自身は無力無能であっても、ある事態や生きものたちの災禍に、全面的に感応してしまう資質者のことである。この世はおおむね不幸であるが、ことに悲嘆のきわみの時に悶え神たちが来て、共に嘆き悲しみ加勢してくれた(饒舌の意味ではない)ことを、悲嘆の底に落ちたことのあるものは、生涯のよき慰めとする。」

「「うすらバカ」や「片輪」を神とするのは、いうまでもなくこれを超俗者として復活させたいためで、そのように願うのは人びとの中にある悶えの意識とおもわれる。ここで大切なのは、両者の間にある絶対無償の関係である。あるがままの存在のすべてを黙って大切にする、いやいや、役目を持たせて大切にする、そういう世界なのであった。」

「現実には社会の脱落者、生活無能者とされるこの種の人びとを、目ざわりとして葬りはじめたのが、いわゆる近代市民社会であった。そしてこのような非情の時代になって来たとき、絶対弱者たちの意識の表現者、聖痕を負う悶えの表現者は詩人でなければならないと彼女は考えていた。なぜなら詩人たるものの唯一の取り柄といえば、「巷を歩けば千の矢が突きささ」り、風にも耐ええぬ魂を抱いていることだけである。」



逸枝について、この国の女性史研究の草分け、程度の認識しかなかったが、    「『母系制の研究』『招婿婚の研究』は高群逸枝みずからが祭祀者となった民族叙事詩の世界でもある」
ということなんだけれども、これはすごい人だなあと、学問のことはともかくして、鶏の詩を読んで、私は思った。

逸枝の詩

「戸口に立って物を乞い/川原に行き暮れて野宿し/暗い夜道を峠へ越える/馴れてみれば/これらのことも/一つの動作にすぎない」

「私の心の中には/泥まみれな無数のものや/ありとあらゆる悪罪が/すこしも傷つけられないではいっている」

「残っているのは雨漏りの/ひどくなってる鶏舎(こや)ばかり/これもいつかは朽ちるだろう/夏は涼しく冬暖かにと/見守ったのもいまはゆめ/生きてかいないわたしたち」

鶏を抱いている写真があるんだけれども、鶏が死んで、生きてかいないわたしたち、って。涙でてくる。これすごい。
むかし母が、飼っていた犬や鳩が死ぬ度に抱きしめて泣いていた、あの気持ちの入りようの、尋常ならざるあたりを、思い出させてくれる、すばらしいよ。

それで引っぱり出して読んでいる「娘巡礼記」。ああ、これ昔読んだ記憶ある。宇和島で、やさしい夫婦のところに泊めてもらったのだね。20代なかばの逸枝がお遍路さんしたときの記録だが。読みふけってしまう。ほんとに、なんてかわいらしいひとだろうなあ。

素九鬼子の「旅の重さ」や、岡本かのこの「生々流転」なども思い出す。そういえば、少女の乞食的放浪の生、というのは、二十歳ごろの私の愛読ジャンルのひとつでありました。

ああ。生きてかいないわたしたち。