1950年代の詩 江島寛

真碩さんが紹介してくれた、50年代の詩。朝鮮戦争のとき、本気で戦争をとめようとした、日本の労働者の詩だそうです。


  江島寛「突堤の歌」

  1 海
海は
河と溝をとおって
工場街につながっていた。
錆と油と
らんる 洗濯板
そんなもので土色になって
源五郎虫の歯くそのにおいがした。

海は釜山にもつながっていた。
破壊された戦車や山砲が
クレーンで高々とつられて
ふとうから
工場街へおくられた。

ふとうは日本につながっていた。
日本の
ふみにじられたすべての土地につながっていた。

(略)

  5 はばたく旗
魚よ! 君よ! 鎚よ!
ふとうにはばたく
おれたちの旗をみてくれ!
君とおれたちの団結の旗を。

占領者を海にたたきおとすために
あまさず
奴らの弾薬庫をうばいかえすのだ。



つながっている、という感覚。それが詩なんだと思う。それが文学で、それが人間なんだと思う。再びつなぐ、いう言葉の本来の意味で、宗教でもあるんだと思う。
悪、は分断すると思う。戦争は分断する。戦争の理由に宗教が利用されることもある。そのとき宗教は自らを裏切って堕落する。
つながっている、というのは、同苦するということ、責任を感じるということ、生き生きとした苦しみとよろこびがあるということ。

朝鮮戦争は日本とつながっていた。
そんなことを、全然私たちは習っていない。

戦争を、本気でとめようと思った日本人がいた。労働者で、詩を書いた。
全然知らない名前だ。

日本は責任の取り方を知らない。
という話を、懇親会の席でもしていた。
侵略についても戦争についても。
今にいたるまで。

ウリハッキョ、という。私たちの学校。
ウリ、という言葉が不思議だ。私たち、だけど、複数にすると、ウリヅル、になる。私、でもない。それはまた別の言葉がある。
私であり、私たち。
たぶん、私、というもののとらえ方がちがうのだ、親たちや友だちや他者や歴史や風土や、いろんなつながりのなかにある私、がウリなのだろう、と推測するんだけど。
日本語にはない、んじゃないかな。いま私たちがつかっている日本語には。

つながり、を感じる心を振り捨てて、戦争特需のおかげで、日本は経済成長もしてきたのだろうが、半世紀もすぎて、ひとりひとり孤独で死にそうになっていたりもするんじゃないか。
そうだ、つながりを感じる心を振り捨ててきたのだもの、戦争責任なんて、わからない。愛国心だって、贋物だろう。
責任を感じるのは、ウリである。
でもウリ、はいないのである。エゴイスティックでひりひり孤独な私、だけがいる。

そんな風景のなかに、この国はあるかしら、というようなことを、ぼんやり思った。