パンダの名前


 夏に生まれたパンダの赤ちゃんに名前がついた。幸浜(コウヒン)というらしい。
 パンダの名前といって思い出すのはやはり、はじめて日本に来たカンカンとランランだ。

 日中国交正常化の年、あ、もう30年以上も昔なのか、私は小学生で、パンダのぬいぐるみが欲しかった。東京の上野動物園というところにいけば、ほんものパンダを見ることができるのらしかったけれど、四国の田舎の子どもには、東京も中国も、どちらも海の向こうの遠いところ、行こうなんて夢にも思いつかない土地だった。パンダのやりとりも所詮、海の向こうの話だったのだが、近くの遊び友だちの家に行ったら、大きなパンダのぬいぐるみがあるのである。欲しくなった。
 ものはためし、母に言ってみた。すると母は買ってきてくれたのである。いつもお金がないといっていたし、まさか買ってくれると思っていなかったので、うろたえてしまった。欲しかったぬいぐるみとは全然ちがったのが悲しかったけど、そんなことは口にできず、なんだかもう複雑な気持ちで、とにもかくにも、手に入れてしまったぬいぐるみに名前をつけた。
 手足がくるくる回る小さなパンダのぬいぐるみは、ララちゃん、といいました。

 そんなことを思っていたら、一冊の本が届いた。
 『原爆碑を洗う中学生 被爆教師江口保さんの平和教育』(草の根出版会) 平和学習シリーズの一冊。著者の小林文男先生は、私の大学時代の恩師である。最近、闘病をされていたと知ったばかりだったので、闘病のなかで書き上げられたのかと、内容ともあいまって、胸に迫った。
 大学で、小林先生にアジア史を習った。それから、先生率いる学生訪中団に参加して、中国へ行った。上海でサーカスを観たとき、ほんものパンダがラッパを吹いて芸をするのを、見ていることがふしぎでしょうがなかった。行けるはずのない海の向こうの話のなかに、私はまぎれこんでいるのだった。