秋の平和公園


 車で一時間半ほどもかかるから、平和公園に行くことはあんまりないが、でも年に何回かは足を運ぶ。遠方から来た人を案内するためであったり、街に出たついでに、子どもを遊ばせるためであったり。

 10日ほど前に行ったときは、公園内は各地からの修学旅行生でいっぱいだった。そういえばそんな季節だなあと思った。公園内のあちこちに、被爆者の方を囲んで話を聞く生徒たちの姿があり、見慣れた光景だが、修学旅行で平和学習をするようになったのには、ひとりの被爆教師の情熱があったことを、昨日送ってもらった本で、はじめて知った。
 『原爆碑を洗う中学生 被爆教師江口保さんの平和教育』(小林文男著 草の根出版会)

 学生時代から、10年ほどを広島で過ごし、またこの地へ戻ってきて4年が過ぎるが、広島で暮らして、被爆者の方のお話を聞くことができたのは、本当によかったと思っている。十数名の方に直接会ってお話を聞く機会があった。歳月は容赦なく、鬼籍に入られた方も多い。
  原爆の悲惨、とかそういうことは、資料を読めばある程度わかるのかもしれないが、生身の人間の声のなかからしか伝わってゆかないものもある。そしてそれは、何かとても大切なものだ。

   語り部沼田鈴子先生が、修学旅行の小学校の生徒たちにお話するのに同席させてもらったのは、3年前の秋。話の最後を沼田先生は次のように結ばれた。
 「つらかったり悲しかったりしたときは、明日天気になあれ、と言ってごらん。心が変わるから。」
 退院したばかりの体をコルセットで支えながら、彼女が被爆体験を通して子どもたちに語っていたことについては、いつか書きたい。体験が哲学になるということ、その奥行きの深さ、あたたかさ。

 平和公園で、私の子どもは「ワンワン」と歓声をあげながら、鳩をおいかけていた。