ヒロシマというとき


 先日読んだ本、『原爆碑を洗う中学生』(小林文男著 草の根出版会)に書かれてあったのだが、著者が1976年に、シンガポールで経験したという出来事は、ショッキングな内容だ。
 著者が映画館で居眠りをしていたところ、観客席の万雷の拍手で起こされた。全員が立ちあがっている。見ると、スクリーンには「きのこ雲」。広島に原爆が落とされた瞬間が映されていた。悲惨な原爆はアジアの人々にとっては、日本の侵略からの解放を意味するのだった。

   思い出したのは魯迅の「藤野先生」の一場面。日本に留学中の魯迅が遭遇したのは、中国人が銃殺される映像を見て、「万歳」と歓声をあげ拍手する日本人の姿だった。

 原爆に焼かれても拍手喝采されるほど日本は恨まれることをしてきたと思えば恐ろしいが、国を問わず民族を問わず、他者の痛みへの想像力を失ったら、他者の苦しみをわらうようになったら、それはもう人間として無残と思う。

  <ヒロシマ>というとき
  <ああ ヒロシマ>と
  やさしくこたえてくれるだろうか
  <ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー
  <ヒロシマ>といえば<南京虐殺
  <ヒロシマ>といえば 女や子供を
  壕の中にとじこめ
  ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
  <ヒロシマ>といえば
  血と炎のこだまが 返って来るのだ
      「ヒロシマというとき」栗原貞子

12月8日。パール・ハーバー(真珠湾)攻撃の日。