数字の数え方


 近くのホームセンターに行くと、店に入る前から子どもは、「チクチクボン、チクチクボン」という。時計売り場でたくさんの時計を眺めるのが好きなのである。そして文字盤の数字を見て「5、8」という。今のところ彼にとって、すべての数字は5、8 (ときどき5、8、10) であるらしく、1234、と書いてあっても「5、8、5、8」と読む。商品の値札もすべて「5、8、10」と読んでいく。
 100円ショップで数字のパズルを買ってやったら、喜んで遊んでいるが、もっぱらバラバラにするばかり。バラバラにした数字を「5、8、5、8」と言いながら運んできたのを見ると、たしかに5と8で、これは偶然だろうか。わかっているのだろうか。1を見せても2を見せても、やっぱり「5、8」と言うのだが。

 中国語の1から10までの数え方を、私は子どものころ母から習った。母もまたその母から習った。祖母は少女の頃、奉公先の軍人一家と一緒に、当時、支那と呼んでいたところへ行って、数年過ごしたことがあるのだという。年をとってからも、機を織りながら、中国の歌を歌っていたという。うろ覚えのその歌を、母が口ずさんだ。一番最後の「マイトンシー」という音が耳に残った。母に意味を聞いたが、知らないという。祖母はもう死んでいたので、祖母に聞くこともできない。
 祖母の家の、農家の薄暗い土間にあった織機のことを思い出した。あの薄暗い家で小さく背中を丸めていた祖母が、遠い外国へ行ったことがあるということが、信じられなかった。「マイトンシー」という言葉は、子どもの私には、何か不思議な呪文のようだった。それを唱えれば外国へも行けるだろうか。

 大学で第二外国語に中国語を選択したとき、マイトンシーの謎が解けるかしら、と思った。謎は教科書を数ページめくればすぐに解けた。「買い物する」という意味だったのだ。
 謎が解けると中国語への興味も消えた。何より発音の難しさにまいって、語学の習得をあきらめた。