紐育空爆之図


 歌誌『Es』10号が届いたので読んでいる。加藤さんありがとうございます。

 歌集歌誌を読むことは、もう何年もなかった。その類の本は、探すのも買うのも読むのも、なんだか手間がかかって、たぶん、ひっかかるところにしかひっかからない類のものでもあるのだが、面倒だったり、余裕がなかったり、そんなことで、最近の短歌のこともほとんどなんにも知らないでいる。
 「『紐育空爆之図』の挑発」と題した山田さんの文の内容についても、はじめて知ったことが多い。

  紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき (大辻隆弘)

 という物議をかもしたらしい短歌をめぐる論争についてなど。ニューヨークの同時多発テロを思い浮かべていいのだと思うが、あのとき、なんだか映画の一場面を見ているようだ、と思いながら、ニュースを見ていた。
 この歌で私が首をかしげるのは、「かく長くながく待ちゐき」である。「かく長く」というほど切実な、待つ、ほど積極的な関心は、なにゆえだろう。テロリストの気持ち、として読んでもよくわからない。

 でも、「紐育空爆之図」を、「廣島原爆之図」と置き換えてみたらどうだろう。
 8日のブログで書いた、シンガポールの映画館での光景そのままだ。原爆投下の場面に観客が総立ちで拍手した、という光景。原爆投下は、日本からの解放を意味した。「かく長くながく待ちゐき」という切実さも、侵略された国民の心情として生々しい。
 広島に住んで、被爆の話もあれこれ聞いてきた身としては、なんだか臓器がよじれてくるようではある。破滅を待たれていたということは。

 こうしてみると、大辻さんの歌は、いたって素直に史実をとらえたもの、と思える。臓器のよじれそうな、そのような人間の光景は、あるのだ。