雪だるま


 生まれたのは豪雪の冬だったから、四国の西のほうでも、たっぷり雪は降った。病院から戻った母と生まれて7日目の私を迎えたのは、父がつくった大きな雪だるまだ。雪だるまの前で母と写った写真は、ピントがぼけているが、父の雪だるまは、なんというか奇妙だ。目はくぼみ、鼻はもりあがり、大きな耳までついていて、雪のお地蔵さんという感じだ。お世辞にもかわいいとは言えない。
 その雪だるまを、私は父と一緒につくったような気がしている。そんなことがあるわけはないのだが、目にする炭をにぎりしめて、背伸びしても背伸びしても、雪だるまの顔に手が届かないのを、くやしがっていた記憶がある。
 あれはいつの記憶なのだろうか。

 昨日の朝は、夫が前の道を雪かきした。午後は、私が庭の雪かき。木々の枝がほとんど折れそうにしなっていた。雪かきついでに、大きな雪だるまをつくった。それでも雪はたっぷりあるので、2つめの雪だるまをつくった。さらに雪うさぎを3つと、雪うさぎの巣をひとつ。
 子どもは雪だるまを見て「ジョジョ」と、ディズニーチャンネルの女の子の名前を言った。全然似ていないのに。今度つくるときは似せてつくろう。彼はジョジョちゃんが好きなのだ。

 雪が降ると音が消える。雪が音を吸うのだろう。雪だるまをつくりながら、道も向かいの森も一面に白い景色のなかで、心のなかの雑音も吸われていくような気がした。
 つくづくきれいな雪景色。夜、雪がやんだ。