もういくつねると


 お正月が近づいてくると、にわかに百人一首の復習をはじめたものだった。母がいた頃はそうだった。
 中学1年の冬にはじめて、母から百人一首を教えてもらった。お正月の遊びに。母はめっぽう強かった。伯父さんたちはもっと強いよ、と言った。母の実家では百人一首がお正月の遊びだったのだという。翌年か翌々年には、私も母と勝負できるようになった。父はもっぱら、札を読む係りで、兄は、自分の好きな札だけを取りに来た。私の好きな札をさらっていくいじわるもした。
 正月三が日は、朝から晩まで、夜も寝ないで、家族や親しい親戚たちと、花札、トランプ、百人一首をして過ぎた。叔父たちと酒も飲んだ。凧をつくってあげた年もあった。受験の年も変わらずにそうしていた。母がいた頃はそうだった。

 いちばん最初におぼえた歌は「むらさめのつゆもまだひぬまきのはにきりたちのぼるあきのゆふぐれ」だった。その頃NHKの人形劇で里見八犬伝をしていて、犬塚しのの刀の名前が「むらさめ」だったのだ。兄が好きだったのは「おおえやまいくののみちのとほければまだふみもみずあまのはしだて」で、母が好きだったのは「いにしへのならのみやこのやえざくらけふここのへににほひぬるかな」だった。

 母が死んで、お正月に家族で遊ぶこともなくなった。むろん親戚とも。共同体が消えたのだ。正月が近づいてくると、いまも、花札したい、トランプしたい、百人一首したい。でもだれも一緒に遊んでくれそうにない。