月天心


 ぴっかぴかのお月さま。満月かな。さっきゴミ捨てに出て見とれた。

 与謝蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」という句が、とても好き。

 ゴミの山のスラムにつづく坂道を、夜、レティ先生と歩いた。94年の12月。
 あの日は、日本からの寄付を受け取るために、マニラの街に出たのだった。往復でかれこれ3~4時間もバスに揺られて銀行まで行った。でも、手続きの行き違いがあって、その日私たちは、寄付を受け取ることができなかった。もう一度日本で、最初から手続きをしてもらわなければいけないのだ。クリスマスを前にして、ゴミの山の学校はお金がなくて切羽詰まっていた。トラブルは誰のせいでもなかったが、日本から為替を預かってきたのは私だった。申し訳なさで言葉もなかった。とても疲れて、つらい一日だった。
 ゴミの山まで戻ってくると、もうすっかり暗い。ジプニーを降りて坂道を歩いていった。空の半分は、ゴミ山の自然発火の煙で白いが、半分はきれいな夜空だった。
 レティ先生が、私の肩を抱き、月を指して「ブワン」と言った。タガログ語で月はブワンというのだと教えてくれた。それから「イシュタル(星)」。そのときまるで、彼女の指先から、月が生まれ、星が生まれるように見えた。この人を好き、と思った。彼女と一緒に歩いていることを、ものすごくなつかしく、幸福だった。