「言葉のゆっくりな」


 昨日の午前は、保健センターの親子教室に行く。いつもより少なくて3組の親子と4人の保健士さんたち。招待されているのは、保健士さんの言い方だと「言葉のゆっくりな」子どもたち。
 みんなの前で名前を呼ばれると、私の子どもはそっぽを向いて逃げ出してしまった。Nくんはママの胸に顔をこすりつけていた。返事をしないふたりのぶんまで、小さな声で返事をしていたのはTくんで、彼は3回手をあげて3回目にほんとうの自分の番になったときには、満面の笑顔だった。

 保健士さんたちは、楽しい雰囲気をつくってくれる。子どもたちは、それぞれ自分勝手に、でも視野のどこかで、ときどき他の子を意識しながら、おもちゃをとりあったり、なんとなくゆずったり、あきらめたり、走ったり、ぶつかったりして遊んでいる。喋らない子どもたちであるから、妙にしずかである。妙にしずかななかに、それぞれの子どもたちの気持ちが、ゆるやかにからんだりはなれたりするのが、伝わってきて、それがとてもほほえましい。

   子どもは子どもなりに成長しているのに、言葉の発達が遅いことを、義父母や両親にあれこれ言われるのがとても悔しい、と、TくんとNくんのお母さんは言っていた。
 私は先月、この親子教室に誘われるまで、自分の子どもが言葉が遅いなんて思いもしなかった。こんなもんだろうと思っていたし、今もやっぱり、こんなもんだろうと思うのだ。でも、おかげで、NくんTくんたちと遊べる機会がもてたのはよかった。「じゃま」とか「あっちへいけ」とか、いじわるを言わない子どもたち、一緒にいて、気持ちのやさしさを感じさせてくれる子どもたちだ。