客人


 昼間、義父母が、あれこれの差し入れをもってやってくる。途中の道の駅で買った野菜や果物。いつもいつも切実にありがたい。子どものものも、おむつもミルクもいつも義母が買ってくれて、私は今にいたるまで、ミルクの値段も紙おむつの値段も知らないという優雅さである。
 天気がいいので、わが家からいちばん近い隣町の道の駅まで遊びに行く。雪がまだ残っている。風が強くてやっぱり寒い。子どもはぬかるみを好んで歩く。

 夜、東京から帰省している友人が寄ってくれる。何年ぶりだろう。思えばすでに10年以上のつきあいになる。ゴミの山の学校の支援をはじめるときに、あれこれの逡巡のなかにいるとき、一番困難なときに、傍らにいてくれたひとり。子どものために、果物とお菓子を買ってくれる。大変恐縮。感謝に堪えない。子どもに、といわれると、いらない、とは言えず、どうもありがとう、と言ってしまう私だ。久しぶりにビールを飲む。

 子どもは客人たちから、みかん、りんご、パイナップル、ばなな、苺、クッキー、スナック菓子などなどもらって、この贅沢はなんだろうか。そして口に大きな苺が入っているのに、さらに食べようと口をあける、このいやしさは。